兼定興産社史 (40)国鉄清算事業団との和解
清算事業団との交渉は、当初事業団側は「土地は払い下げぬ。更地にして返還せよ。!」の一点張りなので、交渉の余地もありません。そこで兼定興産側から、「兼定は建物の登記をしており、地上権が存在する。」ので、「地上権確認の訴え」を起こして、清算事業団を裁判の土俵に上げて、調停交渉を進めました。
最終的に平成5年(1993年)2月23日に久留米簡易裁判所において和解が成立しましたが、地上権を認めないことで土地を購入することになり、かなり高額な出費になりました。
しかし、工場移転をするならばそれ以上の費用がかかるので和解に同意しました。

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| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 22:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
兼定興産社史 (39)国鉄清算事業団との立ち退き交渉
昭和62年(1987年)2月に国鉄清算事業団から1通の文章が送られてきました。
兼定興産が国鉄時代から借りている土地(倉庫や包装設備を設置している土地)の使用契約を解除する、と言う内容の文章です。
当時莫大な赤字を抱えていた国鉄は、負債や遊休施設を清算事業団へ移し、本来の鉄道事業を新会社へ移行する時期でした。
清算事業団は、遊休資産を売却して国鉄の負債を減らす役割がありました。
この様な状況下で、土地を借りている企業、個人に対して更地にして清算事業団へ返還させるようにしていました。
清算事業団の求めに応じて、使用契約の解除をした企業、個人もありましたが、多くは経済活動の基盤を失うために契約解除には応じませんでした。
法律家に相談すると、国鉄の使用契約規則は民法に違反しているので、争って権利を守るべきであると言う結論に達し、その方向で交渉を進めることにしました。
弊社からは、清算事業団へ立ち退き請求は無効であることを通知し、裁判所へは土地使用料の供託を行い、気の長い交渉に移ります。

清算事業団の立ち退き請求の新聞記事

清算事業団への文章

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兼定興産社史 (38) 本格的包装機械の導入
日本農産から購入したサイロは、しばらく倉庫代わりに使用していました。
しかし、昭和62年に新たな包装設備の導入を決意し、約3千万円の投資をして、完全全自動包装を実現しました。
それまでの弊社の包装機械は、弁付きのポリ袋に製品を流し込む方法でした。しかしこの包装機械を導入することにより、オープンのポリ袋に計量した製品を入れてシールする方法に転換しました。当時は弁付きの袋の方が1枚当たり約3円位高く、オープン袋への転換で若干の合理化ができ、また製品にも高級感が備わりました。さらには、この機械だけで粉・粒両方とも充填することができますし、微粉の場合は「脱気棒」を差し込んで強制的にエアを除くこともできます。
導入した機械はニューロング製で3CM-3Pというすぐれものです。(写真は3CM-3Gという紙袋専用機械ですが、弊社のものはポリ袋専用で一部仕様が異なります。)
当時の石灰業界は一部の大手メーカーも含めて完全全自動の包装設備は完備していませんでしたので、遠方からも視察にお見えになりました。

ニューロング製完全全自動包装機

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兼定興産社史(37) 日本農産からサイロを購入
昭和40年後半から昭和60年位の間、国鉄労使は順法闘争や様々な問題で鋭い対立をしてきました。当時までは長距離輸送は国鉄貨車輸送、非常に近い場所は通運や運送でのトラック輸送でした。しかし、国鉄紛争の長期化等が原因になり徐々に長距離輸送もトラック輸送に置き換わっていきました。
日本農産は、餌を工場から南久留米駅まで貨車輸送していました。さらに南久留米駅構内に中継基地を建てて、小型トラックで顧客へ餌を配送していました。しかし餌もトラック長距離輸送による転換で、南久留米駅構内の中継基地は不必要になります。
兼定興産は、日本農産が南久留米駅構内の中継輸送を廃止することを聞いて、福岡市東区和白にある日本農産の工場へ、「中継基地を兼定へ譲渡して下さい。」と相談に行きます。
昭和60年(1985年)日本農産は快く、簿価に近い価格で中継基地を弊社に譲ってくれました。
この中継基地の施設は、30トンのサイロが6本もあり非常に優れものです。ただ当社としては、購入当時は具体的な利用法は考えていませんでした。

日本農産から購入のサイロ
現在の兼定興産包装設備(旧、日本農産中継基地)

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兼定興産社史 (36)農協へのサービス向上(個配達をする)
昭和50年(1975年)代の農業環境は耕作農家が減り始め、青年部の人数も少しずつ減り始めていました。当時肥料の配送は農協(農業協同組合、JA)の職員が配送するか、農協青年部に配送を依頼していました。当然青年部が配送する場合は、配送賃を支払っていましたが、配送ミスや破袋が出てきます。また青年部の都合によっては配送の日にちの変更も必要になってきます。当時の吉井農協(現にじ農協)は、この配送システムを合理化しようとされていました。そこで弊社はそれまで農協の倉庫へ納品していた自社肥料を農協の指示のもと農家まで配送することにしました。
このシステムは、久留米農協(久留米市農業協同組合、JAくるめ)、浮羽農協、大刀洗、筑紫農協へと拡大します。兼定興産の三輪車や2トン車は多いときで7台迄増えました。このシステムのお陰で各農協とスムーズで良好な関係を築くことが出来ました。
弊社の農家配送システムの優秀性に気付いた久留米市農協(JAくるめ、久留米市農業協同組合)の資材課長は、兼定興産に1993年にJAかみのかわ(栃木県宇都宮)への視察を下命され、弊社はレポートを提出します。ただ担当課長が交代し、以降は物流改革が理解できない担当者が続き、実現しませんでした。


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兼定興産社史 (35)珪カルの販売再開
兼定興産は昭和53年(1978年)当時は、住金小倉鉱化(現、住金リコテック)から生石灰集塵紛や生石灰の篩下(-4m/m)を購入していました。
当時の住金小倉鉱化は、住友金属小倉製鉄所へ納品する生石灰の焼成と、高炉スラグの処理を行っています。高炉スラグは主に路盤材に加工して販売していました。
この頃は巷は不況に突入していました。製鉄業界も不況モードです。そこで製鉄関連企業も製鉄所に頼らずに自立出来るように、新規事業を模索していました。住金小倉鉱化も例外ではありません。商社出身の中堅社員だった中村さんを中心に、スラグに付加価値を付けるべく珪カル(珪酸苦土石灰)肥料の製産を始めます。
当社にとって約10年ぶりの珪カル販売の復活です。
ただ、住金小倉鉱化は製品備蓄のための倉庫がありません。珪カルは1年の内で春にしか需要がありません。そこで兼定興産は鳥栖工場に150坪の鉄骨スレートの倉庫を新築し、更に国鉄南久留米構内の自社倉庫を新築し直します。
当初販売ルートは兼定興産のみで販売する計画でした。
しかし途中から福岡購販連(福岡県購買販売農業協同組合)他数社が加わりました。
当時の農業流通は、系統販売(購販連、経済連→農協(農業協同組合、JA)→農家)と系統外販売(兼定→農協(農業協同組合、JA)→農家、メーカー→小売店→農家)とに強く分かれていました。
福岡購販連は、後から販売ルートに名乗りを上げたにもかかわらず、販売ルートを兼定が乱すと言って、弊社を切るようにメーカーに圧力をかけます。
弊社は、福岡購販連なんか関係ない、福岡県内全農協のみでなく他県へも販売促進する。と主張します。結局地域を分けて販売することになりました。
住金小倉鉱化(現、住金リコテック)は、この後さらに肥料事業を進めて、生石灰肥料や配合肥料等の製産を始めます。兼定興産もそれに伴い、生石灰肥料や配合肥料を購入することになります。
JAにじ柿配合

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| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 22:03 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
兼定興産社史 (34)位登産業との取引再開
時代は前後します。先代の社長の頃です。
昭和52年(1977年)頃に位登産業(福岡県田川市)との取引を約十年ぶりに、両社阿吽の呼吸で再開しました。

取引再開直後の取引は、肥料用原料の生石灰を購入するぐらいでスロー・スタートでした。
しかしオイルショック等で、運賃コストが上昇してくると兼定興産としても県内のメーカーとの取引が必要になってきます。
また位登産業の谷口課長(現、親成産業社長)の仲立ちで、それまで疎遠であった安田石灰さんとのもわだかまりが解けました。
位登産業の営業スタッフは人数も少なく、そのために弊社のような卸商社にけっこう自由に営業活動を任せてくれて、頭越しの営業活動はしません。当然のことですが、弊社の顧客へ頭越しにお中元やお歳暮を贈るような非礼なことはしません。
それまで日本石灰(現、宇部マテリアルズ)やその他数社の営業手法しか知らなかった私にとっては、非常に新鮮な感じがしました。
写真は、位登産業の焼成炉(メルツ炉です。)
位登産業の石灰焼成炉(メルツ炉)

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| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 02:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
兼定興産社史 (33)労災死亡事故
出水製紙の会社更生法申請から6日後に労災死亡事故を引き起こしました。
昭和56年1月20日に兼定興産鳥栖工場内でのことです。
当日私は長崎県経済連に新年のご挨拶をして、長崎県内の農協(農業協同組合)の挨拶まわりをしていました。会社へ定時連絡をすると、従業員が作業中にコンベアを吊っていたワイヤーに接触してコンベアが移動し、そのコンベアに当たったとの報告でした。救急車で病院へ運ばれたが、意識もあり問題なさそう、との報告でした。
しかし夜遅く帰社すると、その後容態が急変し亡くなられていました。
ご家族に辛い思いをさせてしまい残念です。
労働基準監督署からは、様々な指導を受けました。
当時は、前日深酒をして酔いが醒めずに出社する労務員もいましたが、これを機会に従業員への指導を厳しくして、事故防止に努めました。また「重機運転講習」「玉掛け講習」「はい付け(積み付け)講習」を受講して、資格の取得に努めました。
当時の小・零細企業の労務職は、まだまだ会社に勤めていると言う意識が低く、兼定興産でも同様でした。この後、徐々に労務職のレベルアップを進めていきました。

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| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 20:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
兼定興産社史 (32)出水製紙の倒産 2
出水製紙の倒産報道が新聞に載ると、色々な会社の人たちが様々な対応で弊社に接してきました。
本気で心配してくださったり、興味半分と情報収集で電話を掛けてきたり、主要仕入先のなかには、「リスク回避のために卸商社として取り引きしているのだから、兼定興産自身の問題だ。」と冷たく言い放つ担当者もいます。
当時取引を再開しはじめた位登産業からは、私が支払いサイトの延期を相談する前に、「兼定さん、心配しなくても良いですよ。しばらくは支払いサイトを2ヶ月延ばして、その後は1ヶ月延ばしたサイトで大丈夫ですよ。」と言っていただきました。
旭化成延岡購買の方々からも、暖かい励ましの言葉とアドバイスをいただきました。
中越パルプの東京本社へご挨拶へ行ったときには、元川内工場長の宮城様からも励ましの言葉をいただき、更に昼食に鰻を食べさせていただきました。
当時を思い返すと、様々な方々に勇気を頂くことが出来ました。
出水製紙は、昭和56年6月2日自己破産になりました。現在、自戒の意味も込めて、弊社応接間の片隅には、不渡りになった出水製紙の約手全てを額に入れて飾っています。

出水製紙の不渡手形

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兼定興産社史 (31)出水製紙の倒産 1
昭和56年(1981年)1月14日出水製紙が100億円の負債を抱えて、東京地裁へ会社更生法の開始の申し立てを行い、事実上倒産してしまいました。
当時の兼定興産にとっては、出水製紙は取引額としては上位数社に入るお得意様でした。前年に先代社長を失いながらも、様々な人や会社に助けられながらやっと正月が過ぎて今年は頑張ろうと思いながら仕事を始めた矢先です。
そこに突然降ってきた2千万円以上の不良債権です。出水製紙へは生石灰納入だけでなく、工場内に生石灰溶解プラントも弊社が設置していたので売掛金だけでなく、プラント代金も関係します。
当時私はまだ経理があまり解りません。兼定興産は、いったいどうなるかと沈んだ気持ちになってしまいました。
ただ、従業員やお客様、仕入先にはその様な様子を見せることは出来ません。経理を担当していた母に資金繰りなどを尋ねると、落ち着いた様子で具体的な数字を挙げて「傷は大きいが、致命傷にはならない。」と説明してくれます。

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