セピア色の大連・旅順・金州(14)
セピア色の大連・旅順・金州(14)
ホテルに戻ると、既に仲間達は戻っており、ホテル内のビアガーデンで串焼きを頬張りながらビールを飲んでいます。明日が帰国なので、私も加わり最後の飲み会です。小雨ですが、なんだかほっとした気分になりました。
清さんの子息が日本留学中に、彼の帰省に同行して、私が初めて大連・ハルビンに行ってから10年、中国輸入を始めて7年になります。この間日本の経済は停滞し、中国の経済は驚異的な発展をしました。貿易を始めた当時は、知人達が中国貿易は騙されるから止めた方がよい。と言うアドバイスをたくさん貰いました。最後に貿易に踏み込むことが出来たのは、清さんのような中国人が居ることを知っていたからかもしれません。幸いなことに今まで騙されることはありません。
たしかに平和ボケした日本人は、日本の常識が世界の常識とかけ離れていることを理解せず、結果的に騙される人もいます。現在、中国企業や中国人はどん欲に、積極的に海外に進出しています。中国は「発展途上国」と「GDP大国」とを上手に使い分けながら、日本からの援助を受けているにもかかわらず(最近では援助も少なくなっていますが、)、逆に遠くアフリカ諸国へも経済援助を行っています。その結果、アフリカ諸国の貿易相手国第1位は中国になってきています。結果的には国連の投票では、中国シンパも増えてきていると思います。
また中国は東シナ海や南シナ海での権益の主張も段々と強く言い出しました。
この一連の中国の行動の是非は別として、中国政府は長期的な視野に立って計画行動しています。
日本では、「ぽっぽっぽ!友愛ぽっぽ!」と脳天気で安全保障に無知で愚鈍な首相や、夏休みを軽井沢で満喫して、急激な円高をジーと見守るだけの首相が続いています。この様な政府や首相が続く限り、確かな安全保障や強い日本を作ることは不可能だと思います。
なんだか、最後は政府批判になってしまいました。
今回の旅日記「セピア色の大連・旅順・金州」は、これでおしまいです。
金州南山神社
写真は昔の金州の南山神社の写真です。(中国友人から頂きました。)
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 03:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(13)
セピア色の大連・旅順・金州(13)

夕方6時に、清さん夫婦が笑顔でタクシーを降りてきました。通訳の晋さんが近くにいなかったので、私は拙い中国語で会話を始めます。すぐに晋さんが来てくれてホット一安心です。
兎に角食事をしよう!と言うことで、清さんに尋ねると、清さんは小さい頃に親に連れられてお寿司を食べた記憶があり、お寿司が食べたい。と言います。すぐにどこの寿司やが良いかを思いつかず、伊勢丹に新しく開店した回転寿司があると秦さんが言います。大丈夫かいな〜?と思いますが、秦さんは自信有りです。
店に行くと大繁盛、私達7名が座る場所がありません。おっとりした晋さんは、「ちょっと失敗したかもしれな〜い。」と言いますが、しかたない。仲間と分かれて座ることにします。
通訳の晋さんを介して母と清さんとの昔話が弾みます。
祖父祖母や亡くなった清さんの両親の話。
息子が日本に留学したときに、どうにかして母を捜そうとした話。
10年前に清さんの息子が中国に帰省したとき私も同行し、ハルビンで逢ったときの話。
ハルビンからの私の帰国に際し、清さんと私とハルビン飛行場で分かれたときに、もうこれで逢うのは最後かもしれない、と思い涙が出た話。
30年以上の音信不通だったけれど、何時も昔を思い出していた話。
親、本人、子供と三代約80年にわたり交流が出来たこと。
途中涙がながれてきます。晋さんも通訳をしながらもらい泣きです。
再会を約束してお別れしました。
昔の金州城
※数週間前に、旅行でお世話になった呉さんから、昔の金州の写真が数多く送られてきました。母が、鹿児島出身のお姉ちゃんに連れられて登った城壁付近だと想像します。

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 11:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(12)
セピア色の大連・旅順・金州(12)

母の父(祖父)と中国友人の父清さんは満州国の警察官として金州で一緒に仕事をしています。この後祖父は大連でサラリーマンに転職しますが、清さんは警察官を続けます。祖父出兵中、清さんは金州から大連の母の家へよく遊びに来てくれています。祖父とは、除隊したら一緒に商売をする約束をしていたようです。清さんはダリアの栽培が趣味で、自宅でりっぱなダリアを栽培しており、このダリアは祖父にしかあげない。と言って、他の人にはやりませんでした。
祖父の戦病死により、母と祖母は金州で佐賀出身の友人宅に同居させてもらうことになり、1947年に日本に戻る日まで清さんとの交際が続きます。帰国に当たっては、荷物の持ち込み制限があり当然家財道具も思い出の品も置いて帰ります。
満州の他地区と比べると金州、大連ではロシアの横暴も少なく、結構平和に暮らせていたようです。家財道具は、清さんに「また戻ってくるからそれまで預かってくださいね。」とのんきな言葉でお願いしたようです。後に母が、清さん家族は正直者だから、本当に預かってくれていただろう。私達がはっきりと「清さん、これらを使って下さい。」と言って帰れば良かった。と悔やんでいました。
思いでの写真も、祖父が警察官時代の写真は、職種が判らないようにして、仮に判ったとしても祖父の横に写っている中国人関係者に迷惑がかからないように彼等の部分を切り取った写真です。引き揚げ当日?は、中国共産党の歌「卑怯者去らば去れ!〜・・・」を歌わされて帰った。と言っていました。
ただその後の満州・中国では、国民党と共産党の内乱、朝鮮戦争、文化大革命と大きな変化が出てきます。母達の日本での生活が落ち着いた頃は、朝鮮戦争や文化大革命の動乱の時期です。もしもこの頃に清さんと連絡をとろうとすると相手に迷惑がかかる可能性があります。(清さんは満州国の警察をしていたので、連絡をとったら文革の犠牲者になると考えたようです。)
ようやく日中関係が穏やかになり、知人の銀行員で大連勤務をしている人に、1997年初めて人捜しの相談をします。当時は満州で過ごした人が、旧知の中国人を捜すことが結構ありました。
ただ中国はWTOにも加盟しておらず、貧乏で旧知の日本人が来てもお金を無心する人が多かったようです。彼は、「探しても良い結果になるとは限りませんよ、探しだせても、彼等からお金を無心されるだけです。日本人は馬鹿でお人好しなので、彼等にお金を渡すが、彼等は感謝はしないで、ただ儲かったと思うだけですよ。」と言いながらも積極的に探してくれます。
清さんは警察に勤めていたので、履歴が残っており、旧住所も分かっており、ようやく探し出すことが出来ます。
清さんは1959年に戦争犯罪人として労改隊で亡くなっていました。ただ子供がハルビンで生活していることが判ります。銀行員の彼は早速電話をすると、相手は祖父の名前を覚えており、話すうちに涙声になり、是非逢いたいと言うことになります。この時彼は、久しぶりに良い中国人に出会ったと告げてくれました。
彼が言うように、無心をするような中国人は多くいたと思います。しかし満州での沢山の残留日本人孤児を育ててくれた中国人(=現在一括りで「中国人」と言いますが、多分多くの養父母は「満族」だと思います。)も居たことを忘れてはならないと思います。
母は約1ヶ月後大連で、彼女達に逢います。彼女達も苦労しながら生きてきたようです。
驚いたことに、彼女の息子が私の出身大学に在籍していることも判明します。当然その息子とは今日までお付き合いをしています。母は彼女と13年ぶりの再会です。

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(11)
セピア色の大連・旅順・金州(11)

食事が終わり、いざ放送局のそばにあった聖徳小学校探しです。何でも、大運動場、○○広場、大連市庁、・・・と私にとって意味不明な地名がいっぱい飛び出します。晋さんや運転手と協議をしながら探し出すことが出来ました。確かにそばに立派な放送局があり小学校もあります。学校の建物は変わってしまっていますが、僅かに傾斜地に建っている面影のみがありました。(以前母の小学校での授業風景で、緩やかな坂でイーゼルをたててスケッチしている写真を見たことがあり、私もこの場所が聖徳小学校と直感しました。)
小学校近くの大運動場については、以前悲しい思い出を母から聞いていました。
母の父は、大連で警察の職を辞し、相生由太郎が設立した満鉄系大連埠頭の荷役業務会社「福昌公司」に就職し、この会社に在籍中に出兵し、戦病死しています。母はこの会社の社宅に住み、隣家に福昌公司の重役さんが住んでいました。非常に品の良い方だったそうですが、敗戦時に運動場の建物内で首吊り自殺をしています。港湾荷役で苦力(クーリー)を雇用していたからでしょうか?ただ、ウィキペディアで調べてみると、労働者の福利厚生は当時としては良かったようですが、・・・。
大連市内をぶらついてホテルに戻り、母の友人がホテルに来るのを部屋で待ちます。
※白黒写真の大連放送局は、http://www013.upp.so-net.ne.jp/takaharu/hp01/omoide3.html から無断でお借りしました。

坂のある「聖徳小学校跡地」に建つ小学校
現在の放送局
昔の大連放送局

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 18:52 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(10)
セピア色の大連・旅順・金州(10)

6月14日大連三日目の朝です。今日は母が幼年期に住んでいた旅順の観光を昼間に済ませ、午後大連に戻り小学校高学年を過ごした放送局の近くにあった「聖徳小学校」を探し、夜は70年来の中国人友人と逢うことになっています。最近知り合った中国人女性、晋さんに一日中通訳をお願いしています。
先ずマイクロバスで東鶏冠山へ行き、203高地と旅順の配置を学んで203高地へ行きます。東鶏冠山のトーチカは必見ですが、説明によるとロシアが要塞を補強したときに使用したセメントは日本小野田セメント製だったそうです。
203高地では坂道を登って山頂へ行きます。途中アカシアの花が散って道ばたに落ちています。アカシアの花は終戦後テンブラにしてよく食べたと母が言うと、晋さんも子供の頃に食べていたようです。晋さんは母と一緒にゆっくりと登ってくれます。すぐ横の売店では「坡上雲(坂の上の雲)」とデカデカと書いてあります。ただあいにくの曇り空で、山頂から「トラの尻尾」を見ることが出来ませんでした。
最後に水師営の見学です。ここの入場料は、203高地や東鶏冠山と比べるとメチャ高の40元(約600円)。ガイドに日本人以外の観光客が来るのか?と尋ねると、ロシアも韓国も来ないよ!。と答えます。ぅぅう!日本人相手のボロイ商売だと思います。昔風の農家造りの小さい建物がぽつんとあるだけです。
旅順をあとにして大連「星が浦(昔も今も海の観光スポット)」付近で軽い昼食にしますが、仲間のおっちゃん達は、らーめんが喰いたい。焼餃子が喰いたい!。と我が儘言い放題です。私は、ラーメンは日本、餃子であれば中国では水餃子でしょう?と思いますが、妥協して焼餃子とビールにしました。ただ、店内では中国人が普通に焼餃子を注文していたので、昔と少し様子が変わったようです。

坡上雲(坂の上の雲)
水師営

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 21:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(9)
セピア色の大連・旅順・金州(9)

勿論おいちゃん達は冷えたビールを注文です。ほろ酔い気分になって、美味しく満腹になって、合計約220元(約3,000円、一人800円)です。中国の高級レストラン、ファーストフードや高級雑貨等の価格は、既にあまり安くありませんが(日本の約80%)、一般の中国人が行くような店は、まだまだ安くて美味しい店があります。夜店でさくらんぼとビールのつまみのへちまの種を買ってから蜀さんと別れ、タクシーでホテルに戻ります。ホテルについてタクシーを降りようとすると、仲間の一人が、「あっ!ポシェットが無い!」と言い出します。あわてて蜀さんに電話して、レストランまで戻ることにしますが、なくしたのであれば、ほぼ絶望的です。中身は現金1万円位とパスポートです。店に戻ると既に蜀さんが来ていて、店には無かったことを伝えてくれます。あとはホテルに置き忘れていることを祈るだけです。蜀さんが、「中国は日本とちがって、落とした物は出てきませんよ。ひょっとしたら記憶違いかもしれないので、ホテルに戻ったらもう一度私に連絡して下さい。」とアドバイスです。
ホテルの部屋に戻ると、あらまぁ〜!ちゃんと置いてありました。
仲間のホテルの部屋でビール、バイジュをへちまの種をつまみに今日の反省会をした後に、おねんねです。
夜店のさくらんぼ

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 08:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(8)
セピア色の大連・旅順・金州(8)

金州を後にして、大連のホテルに戻ることにしました。
夕食は、中国の友人の蜀さんと一緒にみんなですることにします。
さて、何を食べる?海鮮料理が続いているので、満族の料理を食べることにします。
満族の料理とは言っても、満族のしゃぶしゃぶ料理のような高級料理ではなく、一般の満族の料理を食べに行くことにしました。タクシー2台に分乗(母と蜀さん、私と仲間)して出かけます。
ただ、蜀さんがタクシー運転手に不確かな情報を伝えたので、私達のタクシーは途中で道に迷います。さらにこの運転手がメチャひどい運転手で、粗暴な運転です。やれやれ!
やっとのことで、店近くに着き運賃を払いお釣り(1元以下のお釣り)を貰おうとしますが、なかなかくれないので、仲間二人を降ろして、ジッとしていると、相手は領収書を貰うために待っていると勘違いします。私に既に発行済みの他人の領収を渡そうとするので、まだ降りずにいると、メーターが壊れて渡せないと身振りで答えます。とうとうお釣りはもらえずにタクシーを降りました。中国では、1元以下のお釣りは渡さなくても良いのかな?夜店の雑踏をとおり抜けて店に着き、羊の焼き肉、羊スープ、その他を注文しました。
大連の屋台
兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 20:51 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(7)
セピア色の大連・旅順・金州(7)
城内地区を後にして、金州駅に行きます。私は2006年に金州駅を訪問しています。その当時は古い駅で、地方から出てきた中国人が大きな旅荷物を抱えて、たむろしていたのを覚えています。
ところが金州駅周辺はたった4年で様変わりです。金州駅も大きく綺麗になっています。4年前でさえも、満州国時代の建物は壊されていましたが、今では見る影もありません。中国の発展スピードの凄さを感じます。
ロシアが大連に進出してくる以前、遼東半島の中心は大連ではなく金州でした。金州は昔は城壁に囲まれた都市でした。母は小さい頃金州城内で暮らし、その後大連へ移り、さらに敗戦後の日本引き揚げ迄を金州駅近くで生活します。当時生活していた住居近くまで母を案内します。母は、多分この辺に味噌工場があって、○○さんの家がそのすぐそばで、私と母(私の祖母)は、○○さんの家で同居させて貰っていた。と私に伝えます。ただ、周囲は5,6階建てのアパートがあるだけです。線路と壊れかけた小さな建物が僅かに旧満鉄時代を回想できます。
当時この住居のすぐ近所には、日田出身の方が住んでいました。
この方は敗戦時警察に勤めていたので、ロシアの侵攻で、シベリア抑留されてしまいます。私の母方の祖母が、私が小さいときに私に次のようなことを言っていました。
「敗戦でロスケがやって来た。私の家にも将校が遊びに来ていた。将校なので変なことはしなかったが、飾っていた博多人形を欲しそうにしていたので、しょうがないのであげた。」「ロスケが侵入してきたとき、下級兵士は野卑で未文明の人間だった。兵士の死体から腕時計を取って、左右の腕に何個も付けていた。ねじの巻き方が分からず、止まってしまった時計は腕から外して捨てていた。」
この当時のロシア兵は、日本人だけでなく中国人へも乱暴を働いています。
当時のロシア軍の思い出がhttp://www013.upp.so-net.ne.jp/takaharu/hp01/omoide4.htmlにも掲載されていました。
以下、引用
終戦の冬、二月頃だったと思う。長男の私は何とか家計の足しにしようと、早朝四時半に起きて小盗児市場に向かった。大連都市交通の社宅の狭い階段を手探りで下りて、聖徳街三丁目の市電停留所に向いて、だらだらと上り坂をあがった、坂の上はまだ闇の中だった。当時ロスケが拳銃や自動小銃をぶっ放していたので全身がガチガチに緊張していた。
新しい金州駅
金州駅付近のアパート

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 08:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(6)
セピア色の大連・旅順・金州(6)
呉さんの計らいで昼食をいただいた後、金州の旧市内の探訪です。
先ず金州副統衙署跡へ行きます。ここは坂の上の雲でも紹介されてある、正岡子規が従軍記者として行った場所です。近年子規の俳句の碑が見つかり、保存されていますが少しさびれています。
当時母は、近くに住んでいた鹿児島出身のお姉さんに連れられて、金州城壁に登り綺麗な夕日を見ていたそうです。ただ既に城壁はなく、中国人の寺子屋で今は、「城内小学校」と言う名称に城壁があったことを連想させます。
金州副統衙署跡
正岡子規

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
セピア色の大連・旅順・金州(5)
セピア色の大連・旅順・金州(5)
高速で金州に入るちょっと手前の場所で、硫化水素の嫌な臭いがしました。呉さんが言うには、「この周辺は元はゴミの最終処分場だった。今は埋め立てて綺麗に見えるが、硫化水素の臭いが何時もしている。」とのこと。
しばらくすると、田舎のさくらんぼ畑の中に取引先の工場が見えてきます。この工場は、元は地元の小学校を譲り受けて建設したそうです。パンフレットをもらい説明を受けて工場見学をしました。
出発前、母は「金州・さくらんぼ畑・小学校」と言う連想言葉で、悲しい思い出がある。と言っていました。知り合いが金州の小学校横で、さくらんぼ栽培をしていた。ご主人は戦争で不在だったが、敗戦直後に野卑なロシア軍が侵入してきた。結果、奥さんと娘さんは、首をつって自殺した。
ここにある工場は、その場所とは異なりましたが、やはり少し重たい気がしました。
金州近くのさくらんぼ畑

兼定興産は、廃消火剤の肥料化を実用化しました。廃消火粉剤を有償で購入します。消火器処分、廃棄消火器、廃消火剤が有る方はご連絡下さい。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 21:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |