セピア色の大連・旅順・金州(12)
セピア色の大連・旅順・金州(12)

母の父(祖父)と中国友人の父清さんは満州国の警察官として金州で一緒に仕事をしています。この後祖父は大連でサラリーマンに転職しますが、清さんは警察官を続けます。祖父出兵中、清さんは金州から大連の母の家へよく遊びに来てくれています。祖父とは、除隊したら一緒に商売をする約束をしていたようです。清さんはダリアの栽培が趣味で、自宅でりっぱなダリアを栽培しており、このダリアは祖父にしかあげない。と言って、他の人にはやりませんでした。
祖父の戦病死により、母と祖母は金州で佐賀出身の友人宅に同居させてもらうことになり、1947年に日本に戻る日まで清さんとの交際が続きます。帰国に当たっては、荷物の持ち込み制限があり当然家財道具も思い出の品も置いて帰ります。
満州の他地区と比べると金州、大連ではロシアの横暴も少なく、結構平和に暮らせていたようです。家財道具は、清さんに「また戻ってくるからそれまで預かってくださいね。」とのんきな言葉でお願いしたようです。後に母が、清さん家族は正直者だから、本当に預かってくれていただろう。私達がはっきりと「清さん、これらを使って下さい。」と言って帰れば良かった。と悔やんでいました。
思いでの写真も、祖父が警察官時代の写真は、職種が判らないようにして、仮に判ったとしても祖父の横に写っている中国人関係者に迷惑がかからないように彼等の部分を切り取った写真です。引き揚げ当日?は、中国共産党の歌「卑怯者去らば去れ!〜・・・」を歌わされて帰った。と言っていました。
ただその後の満州・中国では、国民党と共産党の内乱、朝鮮戦争、文化大革命と大きな変化が出てきます。母達の日本での生活が落ち着いた頃は、朝鮮戦争や文化大革命の動乱の時期です。もしもこの頃に清さんと連絡をとろうとすると相手に迷惑がかかる可能性があります。(清さんは満州国の警察をしていたので、連絡をとったら文革の犠牲者になると考えたようです。)
ようやく日中関係が穏やかになり、知人の銀行員で大連勤務をしている人に、1997年初めて人捜しの相談をします。当時は満州で過ごした人が、旧知の中国人を捜すことが結構ありました。
ただ中国はWTOにも加盟しておらず、貧乏で旧知の日本人が来てもお金を無心する人が多かったようです。彼は、「探しても良い結果になるとは限りませんよ、探しだせても、彼等からお金を無心されるだけです。日本人は馬鹿でお人好しなので、彼等にお金を渡すが、彼等は感謝はしないで、ただ儲かったと思うだけですよ。」と言いながらも積極的に探してくれます。
清さんは警察に勤めていたので、履歴が残っており、旧住所も分かっており、ようやく探し出すことが出来ます。
清さんは1959年に戦争犯罪人として労改隊で亡くなっていました。ただ子供がハルビンで生活していることが判ります。銀行員の彼は早速電話をすると、相手は祖父の名前を覚えており、話すうちに涙声になり、是非逢いたいと言うことになります。この時彼は、久しぶりに良い中国人に出会ったと告げてくれました。
彼が言うように、無心をするような中国人は多くいたと思います。しかし満州での沢山の残留日本人孤児を育ててくれた中国人(=現在一括りで「中国人」と言いますが、多分多くの養父母は「満族」だと思います。)も居たことを忘れてはならないと思います。
母は約1ヶ月後大連で、彼女達に逢います。彼女達も苦労しながら生きてきたようです。
驚いたことに、彼女の息子が私の出身大学に在籍していることも判明します。当然その息子とは今日までお付き合いをしています。母は彼女と13年ぶりの再会です。

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| けんおじ | セピア色の大連・旅順・金州 | 20:55 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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