ふるさとのお社(14)
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ふるさとのお社(14)

〜伊勢天照御祖(みおや)神社◆

みつみつし久米の子らが垣下(かきもと)に
植えしはじかみ口ひひく
吾は忘れじ 撃ちてし止まむ
神風(かむかぜ)の伊勢の海の生石(おいし)に
這ひ廻(もとほ)ろふ細螺(しただみ)の
い這ひ廻り 撃ちてし止まむ

みなさんその後いかがお過ごしでしょうか?
今年もとうとう桜の季節がやって参りました。(※みーしゃん2010年4月1日の脱稿です。)

今年の開花は早かったですね!お彼岸なのにお花見が出来るなんて・・・。これじゃ4月になって桜舞い散るなかで入学式なんて無理みたいですね。

まァ花冷えで一日でも長く花を楽しめることを祈りつつ、今回は大石町にあるもう一つの伊勢天照御祖神社をご案内いたします。が、その前に。

記紀によればアマテラスの孫で日向(ひむか)に天降ったニニギはオオヤマツミ(大山祀神)の娘である(桜の)花が咲くように美しいコノハナサクヤ姫を娶ります。

このときオオヤマツミは姉のイワナガ姫もニニギの元に送りますが容姿の醜いイワナガ姫を嫌ったニニギは彼女を父親へ送り返します。

なんとモッタイナイ!かつ無礼な!・・・案の定オオヤマツミはそれを怒り「愚かな。イワナガ姫を添えたのは天孫の命がイワのように永遠にナガらえるようにと誓約(うけい=占い+誓い=たとえば嘘ついたら針千本飲む、みたいな)を立てたからで、天孫はコノハナサクヤという名の如く盛んではあるが儚い寿命しか保てないであろう。」と告げたのでありました。

コノハナサクヤ姫はニニギと一夜臥所(ふしど)を共にしただけで身籠ります。ニニギは、一夜で身ごもるなどこの子は私の子ではない、国津神の子であろうと疑います。なんとも無神経なニニギに対し驚き悲しむ姫は疑いを晴らすため、天津神の子であれば何があっても無事に産めるはずと誓約(うけい)をして産屋に火を放ちます。さすがアッパレな九州女でありますが、むろん無事に3柱の御子神を産みます。

火が盛んに燃えている時に生まれたのがホデリまたの名を海幸彦、火勢が弱くなった時に生まれたのがホスセリ、消えた時に生まれたのがホオリまたの名を山幸彦と申しました。

さて海幸彦と山幸彦は長じて互いの幸を交換しようという話になりそれぞれ狩と釣りに出かけますが山幸彦は兄の大事にしていた釣り針を失くしてしまいます。代わりの針をあげようとしますが海幸彦はあの針しか駄目だと言って納得しません。

山幸彦が浜辺で途方にくれていると塩土老爺(しおつつのおじ)が現れ山幸彦を篭に入れて竜宮城へ案内してくれました。そこでワダツミ(綿津見神=海神)の娘トヨタマ姫(豊玉姫)と結ばれ、竜宮城であっという間に3年過ごしたあと故郷が懐かしくなった山幸彦は失くした釣り針を探し出してもらい頑なな兄を懲らしめるという玉を土産に陸へと戻りました。(まるで浦島太郎じゃん、だから玉手箱よ)

このときトヨタマ姫は身篭っていると山幸彦に告げ、海の荒れた日に浜辺に産屋を作って待っていて欲しいという。はたしてトヨタマ姫は妹のタマヨリ姫(玉依姫)を伴ってやって来ます。ところが絶対に産屋を覗かないでというトヨタマ姫の懇願に背いて山幸彦は部屋を覗いてしまいます。そこには八尋和邇(やひろのわに)の姿がありました。(またしても覗いてしまったのね、イザナギの昔から変わらない男の性かしらん)恥をかかされたと怒ったトヨタマ姫は海と陸の境の道を閉ざし竜宮城へ帰ってしまいました。

そのとき生まれた子がウガヤフキアエズであり、ウガヤフキアエズと叔母に当たるタマヨリ姫との間に生まれたのがカムヤマトイワレヒコ(のちの神武天皇)であります。一方、山幸彦と諍いを起こした海幸彦は例の玉のお陰で弟に臣従し、こちらは南九州の隼人の祖になったといいますが、一説に拠ればこの隼人らは後の神武天皇の軍団である久米部になったといいます。

と、ようやく大石町の伊勢天照御祖神社の御祭神の正体に近づいて参りましたが、今しばらくお付き合い下さい。

古事記に拠れば、神武天皇(神日本磐余彦=カムヤマトイワレヒコ)はこの葦原中国(あしはらのなかつくに)を治めるにはどこを都にしたら最もいいか兄の五瀬命(イツセノミコト)と相談。東の方がよかろうということになり日向(福岡県糸島の日向という説もアリ)を発ち筑紫を経て豊の国宇佐(宇佐神宮のあるところ)から安芸(広島)へ入り大豪族が治めているという吉備(岡山)の国へ。いわゆる神武東征でありますがこの間およそ16年かかっております。

で、いよいよ難波(大坂)上陸という段になるところでヤマト土着のナガスネヒコ(長髄彦)軍と会戦。兄のイツセが負傷しあえなく撃退された神武軍は退却。「われらは日の神の御子であるから日に向って(東へ)進むのはよくない。日を背にして(西から)戦おう」と士気の衰えたるところを何とか鼓舞し木の国(和歌山)を廻る迂回策を採りますがここでイツセは亡くなります。熊野に入った神武軍はここでも苦戦しますがアマテラスと高木の神の加護により何とか苦難を乗り切り八咫烏(ヤタガラス=足が三本ある)の案内でようやくヤマト宇陀に入ります。

宇陀には兄迦斯(エウカシ)弟迦斯(オトカシ)という土着豪族の兄弟がおりました。エウカシは神武の武名のなかなか盛んなるを聞き一計を案じます。神武の軍門に降ったと見せかけ宴会場に引き入れた神武を吊り天井を落として圧殺しようという計画でした。この計画を兄から聞かされたオトカシは密かに神武に伝えます。宴会場の外までエウカシに案内されてきた神武は「お前が先に入ってみろ!」と、蹴り入れられたエウカシは哀れ落ちてきた天井に押し潰されてしまいます。弟に密告されるなんてヒドイ話ですね。

毎度思いますがこの古い物語のなかで、兄弟などペアの話が多いのですがどうしてこうも兄弟仲が悪いのでしょうか。そのうえ必ず(征服者側から見て)愚兄賢弟=旧態依然の兄と変革を望む弟・・ってのがお決まりのようです。それだけ支配層の中で並存していくのが厳しかったんでしょうかね。

神武軍は次に忍坂に向います。ここで土蜘蛛(先住民)のヤソタケル(八十建=勇猛な戦士達の軍団)を騙し討ちにして皆殺しにした後いよいよナガスネヒコとの決戦であります。

このとき冒頭に挙げたいわゆる久米歌が神武軍の戦意を鼓舞するために歌われたのであります。

「勢い盛んな久米部の兵士らが真垣の下に植えたハジカミの実は口がヒリヒリするほど辛いぞ。俺たちは敵から受けた痛手を忘れるものか。撃って撃って敵が死ぬまで戦いを止めないぞ」

「神風の吹く伊勢の海に生い立つ石の廻りを這い回るキシャゴ(巻貝)のように敵の廻りを這い回り這いまわり、撃って撃って敵が死ぬまで戦いを止めるものか」

という意味だそうですが、ご存知のようにこの「撃ちてし止まむ」というフレーズははるか後世、太平洋戦争中敗戦色も濃くなりつつある1943年(昭和18年)わが国の陸軍省が戦意高揚のため5万枚のポスターに刷って配布。「鬼畜米英」という熟語とともにまだ我らの記憶にも新しいところでありますね。

ところでナガスネヒコ(長髄彦)ですが、彼はそもそもここヤマトの王でありました。

ある時、天磐船(あめのいわふね)なるもので降り立ったのが饒速日(ニギハヤヒ)であります。彼は天孫と称し十種(とくさ)の神宝を携えていました。マレビト=来訪神として畏れかしこんだニギハヤヒは妹のトミヤス姫を娶わせます。つまりナガスネヒコとニギハヤヒは義兄弟という関係であります。

この先の展開はもうお分かりですね。

ナガスネヒコ軍と神武軍は激戦を繰り広げます。

なかなか決着がつきませんでしたがそのうちナガスネヒコ軍がだんだん優勢になってまいりました。そんな中、金色のトンビが神武の弓に舞い降りたのを見たナガスネヒコは使者を神武の元に送ります。

「わが土地に踏み入り、わが民を殺し、わがヒロニワ(家の土間)を侵すのは何者だ?」

「われこそは天孫(すめみま)、王の中の王。荒ぶる国津神を鎮め葦原中国を治めんがためここヤマトに都するがじゃ。とっとと国を譲るがじゃ。」と神武が言った、かどうか。

(この辺りわたくしの筆力が拙いせいもありますが、どう書いても天皇家に好意的に書けませんので多少省略してお届けしております。)

ナガスネヒコはこれに答えて「こちらに天孫はおられる。お前は偽物だろう」

で、双方の神宝較べが行われますが両方本物という結果になります。

ですが「そんなはずはない。天孫がお二人もいらっしゃるものか!」と言いつつナガスネヒコは戦いを続けようとします。

そのとき刃一閃。

唖然とした表情のままのナガスネヒコの首が飛びました。

「お待ちしておりました。ねじけた性質のナガスネヒコではこの国を治めきれません。アマテラスの天孫であるあなたにこの国を治めて欲しい。」と剣を納めながら言ったのはニギハヤヒ(一説にその子ウマシマチ)でありました。

ううう。ホントにそう書いてあるのよ。でもそんなんあり?

こうして神武は畝火の橿原に都し、第一代天皇として即位しましたそうな。

ニギハヤヒの正式な神名は『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊』(あまてるくにてるひこほあかりくしたまにぎはやひのみこと)と申し上げますが、どうもナガスネヒコが祀っていた太陽神であったようです。はやい話つまりはアマテラスの原型かと。

ちなみに、ニギハヤヒは物部氏の祖神であるそうな。

ということは神武東征以前のヤマトの王は物部氏系ということになりますね。

ということで長々しく書いて参りましたが、大石町の伊勢天照御祖神社の御祭神はじつにこの『ニギハヤヒ』でいらっしゃいました。たぶん氏子のみなさんも御存知の方はそう多くないかも知れません。というのも伊勢天照御祖(イセアマテラスミオヤ)と名付けられた神社でありますが、以上のような経緯であれば神社名は単に『天照(アマテル)神社』であると愚考する次第です。

も一つちなみに、北九州遠賀川流域には物部氏がかなりたくさん住んでいたそうです。従ってここ久留米にニギハヤヒをお祀りする神社があっても別段不自然ではありませんね。

ということで今回はおしまい。

また次回をお楽しみに。

花見の次は何を肴にして宴会しましょうか?!

亭主敬白

| けんおじ | みのるの古文書談義 | 20:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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