ミーシャンのよんでみ亭 笑絵を読む(16) “敦盛”または『婦美(ふみ)の清書(きよがき)』
人間五十年
下天のうちをくらぶれば
夢まぼろしのごとくなり
ひとたび生をうけ
滅せぬ者のあるべきか
 天正10年(1582年)6月2日早暁、本能寺。
 「是れは謀反か、如何なるものの企てぞ」
 「明智の者と見え申し候」
 「是非に及ばず」
手と顔を洗い終え、手ぬぐいで拭き清めている信長の背中に向け一本の矢が放たれます。
無雑作にその矢を抜きとりますと近習のささげる薙刀(なぎなた)を執り上げ、雑兵たちとひとしきり戦っておりましたが、ぱらぱらと鉄砲の音が聞こえるや信長、腕に痛みを感じます。近習が明智兵を防ぎ支えるなか奥にさがった信長はぴたりと戸を閉めました。
やがて誰が放ったか火の手があがり、信長のさがった部屋は煙と炎に包まれますが幽かに聞こえて来る“敦盛”の謡い・・・・ときに信長、49歳。

1184年、一の谷の合戦で破れた平家方は海上に逃れましたが、逃げ遅れた平敦盛(たいらのあつもり)はただ一騎、一門の後を追っておりました。そこに源氏方の熊谷直実(くまがいなおざね)呼びかけますと、敦盛、馬をとってかえし熊谷と尋常の勝負を致しますが、匂うがごとき公達(きんだち)若武者がかなう相手ではありません。あわれ首を打たれてしまいます。敦盛15歳でした。(平家物語)のち熊谷直実は出家して法然の弟子になります。この話を題材にしたのが幸若舞曲や謡曲の“敦盛”です。

「年々花同じからず。今春みすみす又過ぎ」てはならじと、お誘いいただいたのをコレ幸いに、筆者は2日続けていそいそとまだ四分咲きの桜見に小頭町公園へ行ってまいりました。
 ※けんおじ注:2004年春の脱稿です。
  小頭町(こがしらまち)公園は久留米市の中心部にある公園の一つで、
  桜の名所です。
値千金の春の宵、友人たちとバカ話をしながら酒盃を傾ければ「ん〜、最高なるかな。
花に清香あり、月に陰あり。友がいて酒がある。」と感極まった次第。ああ、この多幸感!
呟きはいつしか声高に、ロレツも怪しく思考は白濁するうちに、やがて身は夜の底に沈んで行ったのは相変わらずのことでした。
なんちゅう49歳・・・。

それでは本題に入ります。
今回は、マイナーな絵師だと思いますが、鳥高斎栄里『婦美の清書』。大判錦絵13葉。
彼の経歴は浮世絵師の常でよく判りませんが、高禄の武家出身の鳥高斎栄之の弟子で、寛政後期の活躍ですから写楽とほぼ同時代の人であります。つまり歌麿とも重なっています。構図をまんま歌麿の『歌まくら』からのものを拝借している絵が4・5葉あるのですが、歌麿の絵よりこなれてより大衆的に描かれているようです。

して第1図はエキゾチックな長崎絵風春画。オランダ屋敷の窓辺でのカピタンと遊女の語らい。九州弁とオランダ語が飛び交います。

カピタン

 「なんだかいっそ わからねえでよやうおす 
  もっときつく エエ もふどうしやうの」
 「オケンケラ ・・ケンケラとう よかよかよか」

第3図。ちょっと目には何しているのか不明ですが―。

密夫

 「それはもふ ありがたなすびでもなんでもいい 
  是はとんだもふ 出しかけるの」
 「つとめの身でも ほんにじあうをたててあふ人は
  ほかにはありやせん」

男の方はこの芸者の密夫(まぶ)みたいですが、言ってる意味が分かりません。紗の羽織をかぶった顔が変?(清長描くところの男の顔に似てますな)
女性の方は、直截的な男にいとしげに物言いしてますが、これも手練手管のうちか。
凝った意匠の錦絵の、いかにもな笑絵でしたが如何でしたでしょうか。
今回は花見に時間をとられ、後半が締め切り間際となり多少駆け足でお送りしました。
今日は今から家族と花見に出かけます。
みなさまもこのひと時をお大事に――。
人間五十年・・・・・ではまた次回。
                          亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。
| けんおじ | よんでみ亭 | 21:43 | comments(6) | trackbacks(1) | - | - |
>第1図
>エキゾチックな長崎絵風春画。
>オランダ屋敷の窓辺でのカピタンと遊女の語らい。

これは大変貴重な錦絵です!有り難う存じました。
是非タイトルをお教え願いたぃと存じます。
| shion(紫音) | 2014/12/16 7:51 PM |
>大判錦絵13葉は
>「マイナーな絵師」「高禄の武家出身」「鳥高斎栄之の弟子」、
>「寛政後期の活躍で写楽とほぼ同時代の人」。

▼上文中、特に【写楽とほぼ同時代の絵師】については、
誠に貴重な資料でございます。有り難う存じました。


当方は【写楽は北斎である】と、父が所蔵していた写楽画集ひとめ見た
その日から、ごく自然に確信的に思えたのでございます。

北斎が勝川派を破門されたのは1794年。
この【1794年5月からたった10か月間】に1140数点もの版画を残して
忽然と消えた東洲斎写楽は、34才ー35才時期の葛飾北斎である__と、
当方は受け止めております...
| shion(紫音) | 2014/12/16 8:06 PM |
>『歌まくら』から、まんま歌麿の構図を拝借した錦絵_
は、
<北斎が、1826年完成させた「富久寿楚宇」の構図
でもございます。



喜多川歌麿(1753年頃 - 1806年)の筆致が残る美人画
とは申せど【額に表れた】穂先のそろった緻密な、
▼【産毛】の描写は“北斎独特”の技法です。


そして、
大判錦絵13葉のカピタンは着物を着用し乍ら“しとね”で
▼【提督ハット】を脱がず、女性の柔らかな肌へ触れる際も
▼【右手の指は“サタンの如き爪”】を伸ばし放題の不自然さ。


※、この錦絵からは、北斎でしか洞察でき得ぬ、極めて重要
な、政治的国際的外交問題を「暗示/示唆する」意味合いを、
当方は、強く感じておりました。

| shion(紫音) | 2014/12/16 9:35 PM |
没個性的だった「役者絵の型」を「打ち破り」、
歌舞伎役者の内面にまで迫った役者絵:ポートレート
の描き方は「北斎」をおいて考えられません。

また、西欧の人々の「立体的な顔立ちを正確に描写」
し、内面をも露呈させた肖像画を描けたのは、現代迄
も【北斎のおいて他に存在しない】と、当方は受け止
めております。


不思議な事に、大判錦絵13葉の【カピタンの風貌】は、
1856年日蘭和親条約締結の【陸軍参謀部総督】として
▼再来日した【シーボルト胸像の顔】そのもの_です。


▼他の春画にもなかなか見当たらぬところですが
▼【遊女の口を声を立てぬよぅ着物の袖ですっぽり封じている】
フォルムは、いかしも見つからぬよぅに忍び込んだ強姦スタイル。


シーボルト再来日の1856年には、1849年に没した天才画家
北斎はおりまぬゆえ、考えられる作者は、北斎と並び優れた絵師の
三女「応為」が挙げられます。


| shion(紫音) | 2014/12/16 10:04 PM |
日本地図持ち帰りの「シーボルト事件」については、北斎にも
スパイ嫌疑がかかりました。


商事会社[東インド株式会社]で共通する独:シーボルトと米:ペリー、
共に日本開国について書簡他で連携していたペリーとシーボルト、


▼1823年、北斎へ春画を発注した【長崎の東インド商館長】、

▼その「浪千鳥や富久寿楚宇」を北斎が完成させた1826年、

▼同年【シーボルトが発注】していた【日本人男女の誕生から
死去迄の一生涯を描いた絵巻き】二本:150金×2=300金、
も完成した折、シーボルトは急に半分の75金しか払えないと
言いました。(なかなか狡猾です)。


シーボルトとは
日本の【博物とその情報の収集】といぅ特殊な任務の負い乍ら、
日本人へ「医学の伝授」する為の【派遣】された、オランダ領
東インド陸軍参謀部駐在官侍医です。

▼シーボルトは、日本人【男女の身体:外見及び内臓の偵察/観察】
といったところでしょぅか。

▼因にペリーは【日本全土の海底地形】を1852ー3年ニ度に亘り
偵察/調査しました。

| shion(紫音) | 2014/12/16 10:28 PM |
投稿の「大判錦絵13葉」は、
「絵も詞書=オケンケラ・ケンケラ」も意味深ぃものと
存じます。

*【ケンケラとは当時の今様菓子=福井の名産】であり、
福井県の医師になる前の若者たちが医学を学ぶ為に長崎を
訪れる際の土産品にしたのでしょぅ。(非常に堅い菓子)



北斎は、
1826年以降も、東インド商館長から「200金」で
相当量の絵を描かされていました。

洞察眼の鋭く、決して金に巻かれぬ「北斎」は、東インド商館長
依頼の仕事を果たせば果たす程「国際情勢や覇権国の手の内が見
えた」ことでしょぅ。


大判錦絵13葉は、例えて、
▼『灰の遺産 CIAの歴史』の著者、
▼ピュリッツアー賞を受賞したニューヨーク・タイムズの
ティム・ワイナー記者、の、言を借りますれば、
▼【日米=娼婦とヒモ】関係が顕著に出た絵_であった_
といぅことではないでしょぅか。


ここから当方の推理と相成りますが、

▽1823年ころより「北斎から国際的な真実を聞いていた応為」
が、
▽ほぼ仕上がっていた別の絵へ「大判錦絵13葉の【カピタン】
の顔」と「遊女の下部」を書き直して、真実を後世へ遺した_
と...


シーボルトもペリーも
*「環太平洋市場獲得の為」に
*「日本植民地化」構想を立てていた「現戦争屋の原初」で
あるならば、

*男勝りの応為は、当時としては極めて危険な「絵=歴史的証言」
を遺したことに相成ります。

この後、応為は捕まったか流されたか、没年も未詳ですが....

投稿の「大判錦絵13葉」は研究余地が多いに遺された学術的画!
日本の「弱点が標的」となった現場が捉えられる重要な証拠画で
あると存じました。

貴重な資料を拝見できましたこと、大変幸運に存じました。
有り難う存じました。
| shion(紫音) | 2014/12/16 11:13 PM |









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