兼定興産社史 (3)創業期 農業用生石灰の販売1
どうして「石灰」の販売を考えついたのは分かりません。ただ出が百姓であり石灰になじみがあったことと、農業では毎回、毎年必ず石灰を消費するので安定性があると考えたのかもしれません。当時は肥料が統制品であったことも関係するかもしれません。
当時の多くの石灰メーカーがあり、そのほとんどが中小零細企業でした。しかし、兼定商店と比べると中小零細とはいっても資本力がある立派な会社です。兼定商店は主に八代市大島町の大島石灰から俵入りの生石灰を購入していました。また偶には天草の石灰も購入していましたが、天草の石灰は匁切れ(当時は尺貫法で約18kg入りでした。)が多かったようです。
当然の事ながら福岡県内の石灰メーカー(麻生産業、位登産業)からも購入していました。

請求書綴り

生産方法は、石灰石がある山の斜面に「縦釜」をつくり、上から石炭と石灰石を投入して焼き、下から焼けた生石灰が出来てくる簡単なやりかたです。
大島や天草で出来た生石灰は船に乗せ、有明海から筑後川を遡り、大善寺の黒田に着船します。(ちょうど黒田うなぎ屋さんが有るところです。)当時は満潮になると貨物船が上ってきていました。
船に積まれた俵入りの生石灰は、人夫さん達が陸揚げし、オート三輪車に移し替えて会社まで運びます。
福岡県内の麻生産業や位登産業からの生石灰は、包装されておらず、バラ積み貨車で国鉄南久留米駅迄輸送していました。
ちょうどこの頃(昭和32年)に法人として「兼定商店株式会社」を設立しました。


兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。
| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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