兼定興産社史 (6)通運業へ進出そして撤退
この頃(昭和30年代初期)ポスト「農業用生石灰」の一つとして通運業へも進出しています。また昭和32年に兼定商店株式会社としての法人設立登記を行いました。
戦前、戦中の間に物流に絡んだ仕事をしていた父にとっては、通運業をするのが夢であったようです。いろんな人の力を借りて「大丸通運」を設立します。
当時は、「通運業」と「運送業」との格の差が顕著で通運の方が格上と見なされていたようです。
それはともかく、最初のお客様には、終戦引き上げ後に「百貨市場?」で友人になった野口隆康さんが社長をしてある九州段ボールへ段ボール原紙を運ばせて貰っていました。
また、出光興産については、福岡市荒津工場から岩国へ荷を運んでいました。(出光の担当者の顧客としての資質と、父の資質とがぶつかり、仕事は無くなってしまいます。)
最初は調子が良かったようですが、従業員教育が上手くいかず、従業員の使い込みや幹部職の質の悪さ等々で、立ち行かなくなります。父は赤字の穴埋めのために自宅を売り払い会社の借金を完済しますが、大丸通運はうやむやの内に他人へ移ってしまいました。
大丸通運を去るに当たり、有望で立派な事務職員については縁故を頼って再就職のお願いをしたようです。
総括すると、会社規模にあった社長の資質が不足していたのと、質の悪い従業員、その他の不幸とが重なり合っての経営不振だったと思います。
ともかく、私は諏訪野町の自宅(現在の餃子の大将諏訪町店の所)から現在の野中町へと小学校1年になる少し前に引っ越してきました。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。
| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 08:32 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |









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| 東京ミッドタウンナビ | 2007/04/08 6:08 PM |