兼定興産社史 (8)俵編み
大島石灰や天草石灰は俵入りでしたが、大きなメーカーの生石灰はバラ輸送です。そこで兼定商店は自社で俵に生石灰を詰めるようになります。
小郡の赤川地区の農家で俵を作って貰い、兼定商店ではその俵を小縄で編んで容器にします。秋肥の繁忙期にはバイトのおばさん達にお願いして俵を編んで貰いますが間に合いません。私の母や祖母、女性事務職員の堀江さん、たまには私も俵編みの手伝いをしました。
人夫さん達はこの俵に生石灰をスコップで入れて梱包します。
秋肥の繁忙期には注文が殺到して作業が追いつかず、結果的にお客様である農協(農業協同組合、現JA)に待って貰うことになりますが、お客様も待ってはくれません。朝作業を始めるときに、ちゃっかりとトラックを着けて出来た商品を持っていく農協もあったそうです。
それでも間に合わないときは、母や女性事務職員の堀江さんも俵に石灰を詰めたそうです。
この頃になると、長崎県経済連との取引が始まり、南久留米駅から貨車輸送で諫早方面へも輸送していました。
その後、容器は俵から塩袋の一空き袋に変わり容量も20kgに代わりました。
また戦後職が無く有能な人が兼定商店にも来ていただいていました。しかしこの頃になると世の中が安定してきて自分の進むべき仕事を見つけ、あるいは老境に入って、徐々に退職されていきました。
最初に職場長をしていただいた藤光町の国分さんは現在に至るまでの最高の職場長さんでした。この方は畳製造業になられましたが、海軍出身で背も高く頭もきれて非常に立派な方でした。現在は藤光町で悠々自適の生活をされています。
また大橋町農協で主任さんをされていた山川辰蔵さんも父に請われて仕事を手伝ってくれていました。山川さんは既に他界されましたが、その子供さん達と仕事(電気工事)やプライベート(自然保護)等で私とお付き合いさせていただいています。
| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 20:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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