兼定興産社史 (13)新社屋の落成と鳥栖工場建設
昭和44年の春に、弊社の裏にある綿再生工場から出火し、弊社の作業場兼倉庫及び事務所兼住居へと類焼被害を受けました。
倉庫は全焼、事務所は半焼してしまいます。倉庫に入れていたのは生石灰なので、水を掛けると発熱します。消防車が来て倉庫に水を掛けているのを父が必死で「倉庫には水をかけるな!」と言っていたのを覚えています。
後かたづけを早急に行い、その年に鉄骨スレート建ての倉庫を建て直しました。
事務所は約2年位応急処置をして使用しましたが、その後鉄筋2階建ての事務所を昭和45年に建設し、翠香園ホテルでお世話になった方々をお招きして落成を祝いました。
その後、鳥栖の商工団地予定地横に土地を取得して昭和50年8月に鳥栖工場を建設します。
これに乗じて、日本石灰工業は弊社鳥栖工場敷地内に石灰サイロを設備し、佐賀経済連向けの肥料用石灰の包装下請けをする事になります。これにより弊社は包装下請け賃のみを貰うことによって多少の利を得ることが出来ましたが、サイロには日本石灰が鍵をかけて弊社が利用することは出来ません。さらに弊社独自での佐賀経済連への挨拶が出来なくなりました。昭和53,54年頃には契約を破棄し、サイロを撤去していただきました。
鳥栖への進出は、父が鳥栖出身だったのと、物流の拠点としての鳥栖の利点を考えてのことです。
この土地の取得には、父の小学校頃からの友人である鳥栖市高田町の池田さんに大変お世話になりました。
当時の商工団地予定地は、日本通運と弊社のみが工場を建設しており交通量もまばらでした。

兼定興産鳥栖工場上空写真
写真は現在の兼定興産鳥栖工場を上空から見た写真です。
中央に写っているのが弊社工場で、周辺部は完全に大手企業の工場や倉庫で埋まってしまっています。

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。
| けんおじ | 創業60周年 兼定興産社史  | 18:26 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
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| discount airfare | 2007/10/30 7:40 PM |









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