ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(63)  
水口から 石部へ 3里12丁
    〜六道めぐり その8〜

 山里にうき夜いとはむ友もがな
   くやしくすぎし昔かたらむ  (西行)

2月とはいえ暖かい日が続いておりますが、みなさん如何お過ごしでしょうか? (※けんおじ注:ミーシャン2007-02-06の脱稿です。)

日中暖かいといってももちろん夜は寒いですね。よってついつい酒に手が伸びる。
まあ、春の宵でも暑中でも晩秋でも手が伸びるに任せるわけですが、何度も申し上げましたようにワタクシ晩酌は日本酒でありまして日々毎日平均3合ばかり嗜んでおり、ひたすら肝硬変への道を歩んでいる次第です。
ところで先日ある本に面白いことが書かれておりました。         
いわく、日本酒などの醸造酒と、焼酎など蒸留酒とは酔い方が違う。醸造酒は気分がゆるみ、だらしなくなり、女性に声をかけたくなる軟派の酔いなのに対し、蒸留酒は理屈っぽくなり議論のはじまる硬派の酔い。であるから女性と飲むなら醸造酒、男同士なら蒸留酒。だそうな。
九州男児(もう死語かしら)は焼酎ばかり飲みます。したがって硬派であります。無論ワタクシの友人達も焼酎一辺倒(2次会は不明)でありますので硬派ぞろいでありまして、宴会で給仕のかわいいオネーチャン(や、それなりのオバチャン)にもチョッカイどころか舌も出さず口を利くのは注文のときだけであります。彼女の名前や歳を聞くなんてこと間違ってもありませぬ。なかでも儀は聖人君子のごとく振舞っておることをここに特記しておきます、デヘ。
ま、ワタクシに関してはこの説もムベなるかなというところですが。

さて前回は天台の話をいたしましたが、今回はお経のはなしを少々。
ともかくも紀元前5世紀に現在のネパールに生まれた釈迦は前486年(一説に386年)2月15日入滅しますが、大乗仏教の最初の経典である『般若経』が紀元後50年ころにできて以降、維摩経・法華経・華厳経・無量寿経・阿弥陀経の順に作られていったそうです。(第1期大乗経典―1世紀〜3世紀)
般若経のできるまでざっと500年間小乗仏教だけの時代が続いたわけですが、只今では『小乗』(一人だけ乗れる乗り物=出家し厳しい修行をした僧のみ悟りを開き救われる)といわず『上座部』仏教として現在でもスリランカ・タイ・ビルマ・ラオス・カンボジアなどでは主流に行われています。(不明にして筆者、へェ〜でした)
大乗(大きな乗り物ですべての人を救う)のほうは3世紀にインドに龍樹(りゅうじゅ=ナーガールジュナ)が現れ大乗思想を理論体系化しました。するとまた経典が作られました。如来蔵経・不増不減経・涅槃経・解深密教などなど(第2期大乗教典)。するとまた(インドに)無着・世親が現れこれらの教典を理論化します。
いやはやスゴイものです。これみんなお釈迦様の教えなのです。仏滅後も延々とその教えが新たに述べられていくのであります。
西洋や中東みたいに旧約・新約聖書やコーランという確固とした聖典を持っている社会と違って、あらゆる仏教典がすべて聖典といえば聖典なのですから東アジアは土台昔から文化が異なっています。世界観がそもそも違うのよ。
で、そういった仏教典が中国に入ってきます。なかでも406年インド系の鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『法華経(ほけきょう)』は名訳だそうな。その法華経も含め種々の教典が混然と中国にもたらされた結果、天台智擇砲茲辰董峺淹八教」として体系化され、最澄がその教説を日本にもたらし日本天台宗(天台法華宗)が生まれ、ここから浄土宗、浄土真宗、日本禅宗、日蓮宗が生まれた、とこういう流れであります。以上前回の補足でした。
ということで恵心僧都についてはまた次回に。

 【石部】〜目川之里〜
石部1

さて東海道であります。
絵は、石部から草津へ向う途中の目川の立場にあった菜飯(青菜を入れて炊いた飯)田楽豆腐の店を描いております。街道では相当の名物だったんですな。背景に見える山はもう琵琶湖対岸であります。

石部2
     
 * かたいいしべの木まくらよりも
     わたしやおまへのひざまくら *

 「此宿の女陰門いたつて小さく空割より
  両縁(りょうふち)又細舌(さね)など
  こつこつして男根のあたまで是を突(く)に
  石など推(す)がごとく覚ゆ
  石部にハあらず石陰門(べべ)なりといふせつあり」

 書き入れ/五ばんや六ばんしたといつて
      そんなにぐたぐたするくらいなら
      てんからわたしとねへがいい

     /もうもうへいとのきつねけんで
      めがおまハりにやア
      かなハねかなハね 

あっちゃ〜、今回はまた申し訳ありませんねえ。
会話も、どうゆうシチュエイションかも今ひとつ解りませんが、まあ絵の通りでしょう。

1972年、中国湖南省長沙市で発見された馬王堆(漢代の墓)から出土した『合陰陽方』という2000年以上前に書かれた房中術(男女和合による長生術)の書物には次のようにあります。
「はじめは十回、次は二十、三十、四十、五十、六十、七十、八十、九十。百回出し入れしても、ほとばしらせてはいけない。ひとたび動いて出さなければ、耳はよく聞こえ、目はよく見えるようになる。ふたたびで(出さなければ)声がハッキリし、三たびで皮膚につやが出て・・・九たびで神明に通じ、十たびで身は常(とこし)えのものとなる。」

この房中術は我が国へも伝えられ、平安時代の医学書『医心方(いしんほう)』にも記載されており降って江戸時代かの福岡藩士貝原益軒の金言「接して漏らさず」に至るわけです。

でありますので精力善用を旨として無駄に腎を遣わないようにしましょうね。えへへ、昨今はあまり関係の無い話となりにけり、ですね。

ではまた次回。
                      亭主敬白

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| けんおじ | よんでみ亭 | 10:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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