ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(51)  
岡崎から 池鯉鮒へ 3里30丁

 念力のゆるめば死ぬる大暑かな (村上鬼城)

みなさ〜ん、お元気ですか? 毎日暑いですね。
7月23日は大暑だそうで、それが過ぎれば愈々梅雨明け。また再びの盛夏がやって参ります。しかしなんとまあ毎年毎年季節の移ろいの、代わり映えがしないんでしょ。(※けんおじ注:ミーシャン2006-07-18の脱稿です。)
代わり映えがしないと言えばこのコラム。しょうがないですね〜。
で、せめて涼しい句でもと探しましたところ――

 冷奴 酔ひしひとりの手くらがり (小林康治)

 見えそめし命の果てや 冷奴   ( 同 ) 

ううう、ただ“冷奴”が付いてるだけじゃん。
(相変わらず呑兵衛の詩ですが、暗いですね〜。好きですね〜。)

2番目の句は久保田万太郎の、

 湯豆腐や いのちのはてのうすあかり

というシブい名句を下敷きにしているそうな。
小林康治には他にもこんな句があります。

 湯豆腐や おほかたは世に入れられず  

 冷し酒 世に躓きし膝撫ぜて

 梅雨深し しんじつ深し生き難し

ん〜・・・、どんどん沈んで参ります。
これではこのコラムの趣旨に(ま、あるとして)そぐわない様な気もしないでもないので、お口直しに。

 行水の 恥らひつつも立膝す (吉川青蓮女)
 
あらま、また怒られそう。

ところで蕎麦処『一閑人』がとうとう開店しました。
大変繁盛されており御同慶の至りでありますが、先回の『一閑人』の説明の中で間違いがありましたので訂正いたします。
じつは、もりそばは「ざる」ではなくて「せいろ」でありました。ご主人の○×氏には大変失礼いたしました。
それにしてもやはりウマイです。
シンプルに辛めの「つゆ」でたぐるのもいいですが、この「せいろ」を鴨汁でいただくのがまた美味。たしかメニューでは「鴨せいろ」となっていたと思います。そのまんまですが。
是非一度御賞味くださいね。
しかしまあ、料理人のキャリアがあるとはいえこの歳で蕎麦屋を始めるちゃ大したものでありますねえ。すごいエネルギーであります。これもひとえに家族や友人の支えがあってこそですね。・・・あ、やっぱり本人の努力の賜物ね。

では東海道です。
  【池鯉鮒(ちりゅう)】〜首夏馬市〜
池鯉鮒1

現愛知県知立市であります。
この宿の東の野原では毎年陰暦4月25日〜5月5日に4〜500頭も商う馬市が立ち、物売りや遊女まで集るほど賑わいました。(首夏とは陰暦四月の異称)
昭和10年くらいまでここで市が立っていたそうですが、もうその頃は馬市ならず牛市であったそうな。
またここより東北の所にあるのが八橋。
高校の古典で習った、業平が杜若(かきつばた)を折り込んで歌ったという例の、
    
 から衣きつつなれにしつましあれば
       はるばるきぬる旅をしぞ思ふ

という歌でここは全国的に有名で、業平の墓もあるそうですが、さて。
池鯉鮒2
   
  * 雲か霞とミるまもあらじ
     雪とちりふるさくらばな *

   「舌八曰(したはちいわく)
    池鯉鮒の入口に知立明神ありて
    宿の名も知立と加くべし
    是男子交合するを知って
    玉茎を立るといふ義なりと
    その説おもしろし」

    詞書/こしをつかふたんびに
       ふうりんがちりんちりんなるのをおくでハ
       ミんなが風のふくのたとおもつているから
       おかしいぢやァないかねへ

      /志かしずいぶんふたりのはないきハ
       すさましいせ
       ソレソレそこのゆかたがふきとひさうだァ
       たまらねへ フウフウフウフウ 

ん〜・・・、今回の意匠はいまいちでしたかな。

次回より東海道は尾張の国へと参ります。
ではまた。
                        亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | よんでみ亭 | 01:37 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(50)  
藤川から 岡崎へ 1里半

  鱧焼けていつまで夫のひとり酒 (村上光子)

はやいものでもう7月。
鬱陶しい天気が続いておりますが、みなさんお変りありませんでしょうか?
(※けんおじ注:ミーシャン2006-07-18の脱稿です。)

ある友人にチケットを頂いたものですから、先日久し振り野球観戦にヤフードームへ行って参りました。
対オリックス戦であります。また席がバックネット裏のいい席で、「ありがとうね、ストーミー!」と心の中で手を合わせつつ、早速売店でビールとつまみを買い込むやグビグビやりながら今や遅しとプレーボールを待っておりました。ところ、
「それでは国歌斉唱です。みなさん御起立ください。」というアナウンス。正面のオーロラビジョンには、ユラユラとはためく日章旗の映像が。
「ええ〜?まじ?」過去に3度ほどここに参りましたが、こんなことってあったっけ・・。
スタンドを6割がた埋めた観客のほぼ9割以上が立ち上がり『君が代』を歌い始めます。
「あっちゃ〜。これって踏み絵みたいね。」と思いつつ座ったままビールをグビッ。「野球って、いつのまに国技並になったの?・・・それにしても皆さん違和感無く歌うのね。」またビールをグビッ。
おかげさまで3対2で試合には勝ちました。

さて本日は7月5日であります。
今朝早く北朝鮮がミサイルをぶっ放しました。奇しくもアメリカの独立記念日。北朝鮮もいい度胸ですね。ともかく朝からテレビは大騒ぎ。
かたや尖閣列島の海洋調査をした中国に日本政府が抗議したところ、中国政府は猛反発いうニュース。同じく竹島近辺に警備艇を連れた韓国の調査船が。わが国の排他的経済水域無断侵入ということでこちらも騒いでるけど、どうせ無視される結果に。
現場に急行するわが政府の巡視船のみなさんご苦労様です。□△船長!お元気でしょうか?毎日お世話かけております。
それにしてもせめてお隣同士仲良く出来ないものでしょうかねえ・・・・。

     酒と女は敵(かたき)としって
           居ても又くふだましうち

でえ〜。ずっと討たれ続けておりますが、こんなカタキなら仕方がないので諦めもつくというものであります。
それにしても、“呑んだくれ”とはよく言ったもの。
飲む前は「呑むんだ、呉れ!」飲んでからは「呑んだ、呉れ!」ず〜っとお酒が欲しいのね。一方女性はというと、
      
     女ふと理性に返る紙一重 (孝三郎)

ウウ、うまくいかないもので。
  
     女ふと理性に返る紙を取り (酔眼)

フム、噺が落ちたところで東海道であります。
  【岡崎】〜矢矧之橋〜
岡崎1

現愛知県岡崎市であります。
奥に見える岡崎城は家康の生まれたところであります。江戸時代には岡崎5万石本多家の居城でありました。尚、この矢矧橋は東海道最長(374m)の橋であります。

岡崎2
     
    *岡崎のしゅく矢矧のはしいたよりも
        ぬしをまつ夜ハ なほながひ*
 
    「おか崎女郎志ゆハよいとぼしといふことあれバ
     閨中の手練思ひやるべし
     往来の旅人かやうの名だかき宿をむなしく往過いふなと
     九次郎兵衛が志かいふ」

    詞書/エエソレソレ
       いいよ いいよ

      /おめへもいいか
       おれもいい いい

なんと仲の良いことでありましょうか。
近隣外交も斯くありたいものですね。というか全世界仲良く、ネ! 

じゃあ、また次回で。
                     亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化土、屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | よんでみ亭 | 15:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(49)
赤坂から 藤川へ 2里9丁

 飲みぶりも底抜けなりし太宰の忌 (上村占魚)

みなさんお元気ですか〜?

 さくらんぼ子に食べさせて母若し (星野立子)

ということで6月19日は桜桃忌であります。
 ※けんおじ注:ミーシャン 2006-06-19 の脱稿です。)
心中した太宰治は39歳でありました。相手の山崎富栄と固く紐で結び合い玉川に入水(じゅすい)した訳でありますが、どういうものか太宰の方は激しく抵抗した跡があったそうです。
大酒呑みの太宰は過去に5回自殺未遂をやらかし、うち1回は学生時代の心中事件で相手の女性を死亡させております。ブンガク的には正義の人ではあったと思うけど、生来淫蕩なのか寂しがり屋なのか、はたまた初婚の相手が不義したからかなのか女性関係も乱脈で再婚後も他に子供をこさえてるし、妻子ありながらまたも心中で今回は成功したのでありましょうが、なんか薄情モンのたわけモンですね〜。
それにしてもいざとなったら、いつか書いたように女性は腹据えて、オタオタするのは男のほうでした。まあ、気持ち分からんこともないけどね、でへ。

  しらじらと酔後の舗道桜桃忌 (轡田 進)

ところで落語のマクラに、こんなのがあります。

 「おまえ、酒を止めたっていうじゃねえか。」
 「さればよ。願立てして五年が間、禁酒した。」
 「そりゃァ不自由だろう。なら十年禁酒にして、夜ばかり飲んだら
  よかろうぜ。」
 「それもよかろうが、いつそ二十年禁酒して、昼夜飲むべいか。」

ことほど左様に呑ん兵衛は意地きたなくて救いがたきものでありますが、ここで近日中に隣村(じつは当村)で開店するという蕎麦処『○×△』での呑み助の飲み方をひとつシュミレートしてみましょう。

自宅を出て自転車で5分。高速道路をくぐってチョッと行けば左手に白い建物。
広い駐車場を備えたモダーンな風情は一見美容室か喫茶店か。そういえばここのオヤジはるか昔に小郡で『abcd』という喫茶店してたな・・・とかなんとか思いつつドアを開けグッと店内へ踏み込む。
正面の一枚ガラスの向こうは瀟洒な庭園。この庭を望むカウンターに座るのもいいけど、やっぱ左手の厨房に面したカウンターの一番奥の席が私を呼んでいるぜ。
腰掛けるやおもむろに酒を頼む。
「日本酒ちょーだい。燗つけなくていーよ。」
酒は『久保田』の千寿。ちなみに純米冷酒300ccボトルもおいしそうだけど、それはまた次回ということで、とりあえず付きだしで1杯。2杯。3杯・・・
おっと焼き味噌はチクと時間がかかったかな。じゃ酒無くならない内に。
「焼き味噌ひとつね。と酒お代わり。」
少々気持ちよくなって参りました。
私は日本酒が好きだが、もちろんここには焼酎もあり。芋は『伊佐美』、ソバは『十割』。
ああ、ミソ、うめ〜。
さて2本目の徳利も軽くなってきたぜ。
「ざる。ちょ〜だいね。と酒お代わりね。」
来ましたよ。
蕎麦ひとくちすすっちゃァ、盃に口を運ぶ。の繰り返し。
モウ3本目だし、ゆっくり呑まなきゃね。
適度にのびた蕎麦がまた旨いのよ。お酒にピッタリね。
い〜こころ持ち・・・。
さてさてここらで〆るかな。きり無いよね。自転車だし。
「蕎麦湯ちょ〜だいね。」
すっぱり汁飲み干して「お勘定ね。」

ああ〜この至福の時間。
帰り道には充分気をつけましょうね。自転車だし。

ということで東海道であります。
 【藤川】〜棒鼻(ぼうばな)之図〜
藤川1

 中央の長い杭は宿場の境を示す榜示杭(ぼうじくい)であります。サブタイトルに棒鼻とあるのは、その杭が宿場の端にあったことからこの場所をそう呼んだそうであります。
 いましも八朔の御馬献上(幕府から朝廷へ)の一行が通りかかっております。
この八朔とは陰暦8月朔日(1日)のことで、この日は家康が江戸に入府した日でありました。ちなみに吉原では紋日にあたり花魁泣かせの金の要る日でありました。

藤川2
     
* かほる藤川こひむらさきハ
       たれにゆかりのいろをさく *

  「藤のごとく手足をからミ川の水と
   ひとしく淫水をながす藤川の女
   品もあり腎もあり
   くハふるに上開をもつてせバ
   至れりといハん尽せりといふべし」

   詞書/どうしてもこんなほんを見ると
      気がわるくなるだらうね
      おいらモウはぢきれさうになつてきた
      ァァどうもこたへられねへ

     /わたしももうなんだかおつゥなきになつて
      くわつくわつとのぼせてきましたハ

気がわるいのと気持ちが悪いのは別なはなしであります。
念のため。
「蕎麦もあり、酒もあり、くわうるに上品をもってせば至れりと言わん。尽せりと言うべし。」
じゃあ、またね。
                        亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。


| けんおじ | よんでみ亭 | 21:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(48)  
御油から 赤阪へ 16丁

前回の続きです。
まあ、もう少しお付き合い下さいね。
とその前に。
まったく迂闊なことに、国歌は「君が代」、国旗は「日の丸」と法律によって制定されておりましたことを筆者存じませんでした。その名も『国歌及び国旗に関する法律』であります。平成11年の公布・施行でありました。あ〜知らなんだァ、最近のことなのに。まことにもって申し訳ありません。
それはそうとして、前回の「日の丸」に続き「君が代」の歴史と意味を知っておくことは、この国のナショナリズムの混乱を考える上で欠かせません。ねえ。

  我君は千代に八千代にさざれ石の
          巌になりて苔の生(む)すまで

平安時代延喜年間に勅撰された古今和歌集の第7巻『賀歌』の巻頭にある歌であります。作者は「読み人知らず」となっておりますのでこの歌、かなり広く人口に膾炙していたと思われるそうです。つまり、みんなが知っている古い歌だそうな。
むかしの人は早死にでしたね。この賀歌という部門は長寿をことほぐ歌ばかり集めており、初老!の40歳の賀から50、60、70歳(古来稀なり)の賀まで祝った歌が採られておりますから、“君”の意味も決してミカドを指すものでなく、「あ〜ら、わが君」とかいう時の君であり親愛なる人を指すと考えられますので歌の意味は、
  「あなた、小石が大岩になって苔が生えるまで、
             それほどまで長生きしてね」
ということになります。
古今集から100年後に編まれた和漢朗詠集では出だしの「我君は」が「君が代は」となり、時代が下ってもこの歌はこのまま謡曲や長唄・琵琶歌などに長寿を祝う歌として取り入れられ親しまれてきたわけです。江戸時代初期に一世を風靡した隆達節という流行り唄にも唄われましたがこっちは恋歌になっておりました。
ですが、「君が代」という言い方自体は、時代によって「みかどの御世」や「将軍の治世」を指すことが多かったのも事実であります。つまり時の治世者を君と呼んだのですね。
明治2年、横浜でイギリス人軍楽隊長フェントンが言うことにぁ「外国にはみな国歌なるものがある。日本にはないのであるか?」これを聞いた薩摩軍の砲兵隊長大山巌(のちの元帥)はハタと困り薩軍の仲間と相談、彼らが親しんでいた琵琶歌のなかから「蓬莱山」のこの一節を抜き出して彼のフェントンに作曲を依頼して出来上がったのが、「君が代」第1号でありました。
薩軍ではこの歌を「天皇に対し奉る礼式曲」と呼んで、「これは国歌だ、国歌である。」とおおいに宣伝に励みましたが、西洋風で歌いにくかったのか「さつまっぽが言ってるが、なんのこっちゃ〜?」と思われたのか一向に人気が出ず、明治9年の天長節(天皇誕生日)を最後にこの歌の吹奏は廃止されました。
4年後の明治13年、海軍軍楽長の建議で海軍省は宮内省雅楽課に同曲の作曲を依頼。で出来上がったのが只今の「君が代」であります。
明治21年この楽譜は「大日本礼式」と題して海軍省より各条約国に通告。また26年文部省が全国の学校に祝祭日の儀式に斉唱すべき旨を通達しておりますが、法的に義務化し強制したわけではありませんでした。まあその頃の国民はお上の言うことを素直に受け入れてみんな歌っていたでしょうけどね。むろん明治ですから君が代は「天皇の御世」だと弁えてはいたでしょうが。
ちなみに明治36年ドイツで開催された「世界国歌コンクール」!で「君が代」は1等賞でありました。にっぽんチャチャチャだけど、どうやって審査したのか、他の国は納得したのか・・・ん〜謎であります。

というわけで、平成11年まで国旗・国歌は明確に法制化されてはおりませんでした。

ともあれ、日の丸にしろ君が代にしろその歴史は1000年以上も遡る由緒古いものであり、また本来のその意味も片や太陽であり片や長寿をことほぐものでありますので、この事を知った上で、これはこれでOKだと思います。ただ国家が強制するのはやはりオカシイし、歌わない自由もアリだけど、国歌斉唱時に起立しないのもおかしいし、口パク対策に音声判定機を使うのもやっぱヘンよね〜。民主国家のいいオトナのすることとは到底思えないし、そんなことに税金使うな〜!(○×△□氏も怒っとるぞ〜)また日の丸に直立不動し君が代を高らかに歌うことを、愛国心を測る尺度にするって国の態度はいかにもアブナイ感じよね。またぞろ非国民なんて言う輩が出て来そうで・・。
以上、2回にわたり長々と書いてきた割にはありきたりの感想になってしまいました。あ、毎度のことですねェ。

さてさて、東海道であります。
  【赤阪】〜旅舎招婦之図〜
赤坂1

こらまた有名な絵でありますね。旅舎は旅籠屋のことで、招婦は娼婦のこと。子細に見れば当時の風俗がとてもよく分かります。
前々回でも御紹介したように「御油や赤阪、吉田がなくば、なんのよしみで江戸通い」と唄われるほど飯盛女が多かったものですから当時の身売り証文がいくつも残っておりますが、やはり年貢を払えず娘を売る者が多かったそうで、文化文政年間、年季奉公2年で10両というのもある一方、12年で4両1分、15年で2両というおそろしく酷いものもありました。年季が無事に明けカタギになって男と所帯を持つ者もいたでしょうが、あまりの辛さに身投げしたりこき使われて病気になりそのまま死んで無縁墓に投げ込まれる者の方がずっと多かったことでしょう。ウウ、おとこって最低ねエ〜。
最低ついでに。

赤坂2
 
   * 赤坂やつこといハるる身でも
       恋路にくらうハおなしこと *

 「当宿の女郎(じょうろ)交合(とぼし)にのぞんで
  尻をふり又元気よく志てさつはつなるうちに
  恥ずかしといふ身ふり見えて
  顔さへ腰のふんどしさへ赤坂奴の名にたかし」
         (女性の腰巻もふんどしと言った・・筆者注)

   詞書/もっと大ごしについてくんな
      きさなおとがしてきたノウ
 
     /そりやァ うしろからしてりやァ
      ごぼごぼととぼしなりのするなァ
      おさたまりた  

はい。
この企画もいよいよマンネリ化してきましたが、まだまだ京都まで道のりも遠くございますので今しばらくのご辛抱を。
じゃあ、またね。
                        亭主敬白  

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。

| けんおじ | よんでみ亭 | 10:11 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(47)  
吉田から 御油へ 2里半4丁

   白地に赤く 日の丸染めて
   あ々うつくしや 日本の旗は

   朝日にのぼる 勢見せて
   あ々勇ましや 日本の旗は

みなさんお元気ですか?

上の歌、どこかで聞いたことがあると思いますが、明治44年に尋常小学校一年の唱歌として採用された「日の丸」の歌であります。
明治28年の日清戦争勝利・同38年の日露戦争勝利の後ですから文字通り勇ましい2番の歌詞ですが、太平洋戦争敗戦後の新憲法施行の年である昭和22年の文部省著作になる教科書「一ねんせいのおんがく」では、

   あおぞらたかく 日のまるあげて
   ああうつくしい にほんのはたは

と、こうなりました。この歌は今でもメロディーを口ずさめますので確かに私らも小学校で習ったのでしょうね。

ということで、愛国心やら教育基本法改正やらと最近政府がうるさく言ってますので今回は、そもそも我が国の国旗・国歌はいかようにして生まれ、いかようにして国旗国歌となったのか――ということをちっと書いてみたく思う次第であります。

そもそも話は、古事記に書かれている神代時代のアマテラスから始まります。(・・・と大層なこと言いますが、そうものの本に出ているわけですね。)
いわゆる太陽神信仰であります。古代では世界中どこもこの信仰があったのですが、異民族に征服されて別の神を崇めさせられたりキリスト教やイスラム教に改宗させられたりで素朴な太陽神崇拝は衰微していくわけでありますが、ひとり我が国のみが国家的に信仰を続けていけたというのも所謂万世一系の天皇がアマテラスを祖神としその祭祀を司ってきたからであります。天皇は国のカミの司祭でありました。
ですがこの地位の簒奪、つまり天皇に取って代わろうと企てた武士が二人おります。足利義満と織田信長であります。と、この話も面白いのでありますが脱線ですのでまた別の機会に。
それはともかく御来光という言葉があるように、農耕民族としてお天と様は古来より崇拝されてまいりました。
下って武士の世になりまして太陽を図案化した日の丸の扇が『平家物語』や『源平盛衰記』に見えますが、そのころは真紅の地に金の日の丸であったようです。
中世に入り武士の旗指物にこの日の丸がよく使われるようになりました。美しくシンプルで判りやすいですものね。伊達政宗も戦陣でよく使ってたそうです。文禄の役(朝鮮侵攻)のとき京を発する折には紺地に金の日の丸だったそうな。この時小西行長は加藤清正とともに先鋒の大将として出陣しますが、清正に「貴殿はどのような旗を使うのか」と聞かれ、「我等は世人の知りたる通、元来堺の薬屋なれば、紙袋に朱丸付けたる旗を用候。」と気後れせずに答えた(『名将言行録』)というところからみてもすでに日本軍は日の丸を旗印に決めていたようです。武士に戦さは付き物といえど、日の丸あるところ戦争があったわけですね。
やがてようやく戦乱が終わり徳川の治世になります。
寛文13年幕府は『城米回漕令条』を発令。其の中の一節に、「御城米船印(ふなじるし)之儀、布にてなりとも、白四半(正方形)に大なる朱の丸を付け、其の脇に面々苗字名是を書付け、出船より江戸着まで立て置き候様、之を申付けらる可く候。」とあり、この船を「日の丸御城米積船」略して「日の丸御船」または「日の丸船印」と呼んで東回り・西回りの幕府御用の回船には翩翻と日の丸の旗が翻っておりました。つまり官船の船印(ふなじるし)は“日の丸”と江戸時代初期より認知されていたわけです。
鎖国から開国へ。明治まであと15年という安政元年、幕府は「異国船に紛れざるよう」に、“日の丸”を日本の総船印に決定します。
明けて明治の時代となっても新政府はこの方針を執り続け、郵船・商船の船印として“日の丸”の寸法を通達、それを“御国旗”と称していますから政府としてまた外国各国も“日の丸”を国旗と認知していたと思われます。
それから140年。
いろいろありましたが、まあこうして日本の国旗は日の丸であると、きちんと法制化されたわけでなく何とはなく国民のコンセンサスを得て今日に至っているというとこですね。そりゃそうだ。日に丸の意匠そのものが文書で確認できるだけでも少なくとも1000年以上の歴史がありますから。

ちなみに旧日本陸軍・海軍の軍旗は明治天皇より授与された16条の旭光が描かれた旭日旗であり、日の丸ではありません。
あくまで日の丸は、其の起源は農耕国家そして海洋国家としての日本を表象するものであったのでありました。

あら、思わず長くなり紙数が足りなくなってしまいました。君が代についてはまた今度にしましょうね。

では東海道へ。
  【御油】〜旅人留女〜
御油1

では前宿の吉田、次宿の赤坂と並び称される御油(ごゆ)であります。
留女(とめおんな)とは宿屋に雇われて客を引っ張り込むのが仕事でしたが勿論春を鬻ぐ者も居りました。
旅人は江戸から下って来ると、この御油から次宿の赤坂までの道のりが東海道の宿駅中最も短いたった16丁(2km余)でしたのでよっぽどこの宿場がお目当てない限り赤坂まで足を伸ばそうとしましたから、そうはさせじと留女ががんばったわけですね。ご覧のように力づくでも宿に連れ込もうとしております。当時でも御油の名物であった留女は旅人にとってはいい迷惑っだたそうな。
御油2
           
上は右部分の拡大。
上の方に懸かっている板(講中板)に注目。
左から一立斎(広重)図。刷師平兵衛。彫工治郎兵エ。東海乃続画と読めます。

御油3

    * おゆつくりとハうハべのおせじ
           鐘や鴉をまちかねる *

  「在五の君吾妻下りのとき
   このところの宿女どもをとぼしゐふに
   何れも上開にして味よけれバ
   惣身より油の御汗をながしゐふと
   よつて御油の里といふ」

  詞書/それそこへきしやごが
     ひとつとびこんだ
     エエどうもかハいら志いかいだねへ

    /だれかくるとわるいから
     およしなさい
     そんなにきしやごをいぢつちやァ
     お手がよごれてきたなくなります

なんか意味よくわかりませんな〜。

では今回はこのへんで。また次回。
                         亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | よんでみ亭 | 04:33 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(46)  
二川から 吉田へ 1里半

  誰かまた花橘に思ひ出でん我も昔の人となりなば (藤原俊成)      
あ〜あ、とうとう黄金週間も終わってしまいましたが、みなさん如何でしたでしょうか。今年はお天気にも恵まれましたので随分楽しい思いをされたかと存じます。私もあとさき考えずイソップのキリギリスみたいに遊び暮らしましてもうへロへロでございました。・・・そんなことはどうでもよろしいですね。
 ※けんおじ注:ミーシャン2006-05-09の脱稿です。
さて、通常の軟派で文弱なコラムへ戻りましょう。

  ゆくはるや 同車の君の ささめごと (蕪村)

王朝絵巻から一場面を切り取ったかのような典雅で淫靡な歌であります。
歌中の車とは牛車のこと。今のタクシーで同乗するのと訳が違い男女が同じ牛車とは穏やかでありません。ささめごとは内緒事ですから、君との間にいかような子細があるのでありましょうか。

一方、庶民の子細はこんな感じ。

  月にむら雲 花には嵐 思うお方は女房持ち

  ひとりで差したるから傘なれば 片袖濡れよう筈がない

なんとも仇っぽい都々逸でありましてこれもまた文化ですが、こんなオチのもございます。

  ながい話をつづめていへば 光源氏が生きて死ぬ

「げんじものがたり? しゃらくせえ〜」って感じでとても共感を呼びますね、ハイ。
とはいへ、晩春の宵にはこの一句が身に滲みて参ります。

  はるさめや 暮なんとして けふも有  (蕪村)

・・・うう、美しくせつないですね。人はパンのみにて生くるにあらず――であります。なんのこっちゃあ〜

そんなわけで東海道であります。
   【吉田】〜豊川橋〜
吉田1

只今の愛知県豊橋市であります。
手前の普請中のお城は吉田城(三河豊橋藩7万石松平家)であります。職人が足場の上で豊川(吉田)橋を渡る大名行列を眺めております。
「吉田通れば二階から招く、しかも鹿の子の振袖が・・・」と歌われたほど繁華な宿場で、賑わい過ぎて天明4年幕府よりもっと静かにするようお叱りを受けたとか。
次回御紹介の御油、次の赤坂などとともに飯盛も多く「御油や赤坂、吉田がなくば、なんのよしみで江戸通い」という都々逸も残っております。

ということで『膝寿里日記』から。
吉田2    

  * よし田なら祢(ね)ど二階からまねく
        志かも連子(れんじ)のあひだから *

  「この宿の女すけべいなれバ
   皆にかい追い上げて男とひとつに置かず
   されど志たがる心やまざるにや
   吉田通ればにかいから招く
   志かもどの子もふり陰門(本”々)で
   といふ伊せ音頭あり」  

   詞書/アレおよしよ
      そんなことするとおつかさんにさういうよ
      エエモウどう志たらよからうノウ

     /そんなやぼなことをおっしゃらずに
      じゆうになつておいでなせへ
      ぢつきによくなつてめへりやす

毎度お馴染みお下劣な絵も土地案内もとりあえず置いて、こんなときに「じゆう」なんて言葉が出て来る不思議さ!
やっぱ勉強になりますなあ。読むのが面倒でも、ぢつきによくなつてめへりやす。

ではみなさん、また次回で。
                        亭主敬白


兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | よんでみ亭 | 09:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(45)  
二川から 吉田へ 1里半だったけど・・・

  桜花夢かうつつかしら雲の
        絶えてつれなき嶺の春風 (藤原家隆)

ということで京都御苑です。
桜1
ソメイヨシノにはちと早すぎましたが糸桜(枝垂桜)は満開でした。
※ケンオジ注:ミーシャン2006-04-18の脱稿です。
桜2

幸運にもちょうど御所の一般公開日に当たっておりました。紫宸殿前の左近の桜です。
3分咲きかな。

秀吉が大花見大会を開いた醍醐寺の桜がとてもいいという話でしたので訪れました。
桜3
    
やはり少し早すぎたようです。でもそれなりにすばらしい。
桜4
     
秀吉とくれば、ねね。
ねね(北の政所)が秀吉の菩提を弔うため開いた高台寺の枝垂桜も美しい。
桜5
      
円山公園の枝垂桜。人が多く混雑しておりまして、ほとんど小頭町公園みたいでした。
桜6 

吉野まで足を伸ばしましたが、残念ながら下千本でさへ2分咲き。

  吉野山去年(こぞ)のしをりの道かへて
            まだ見ぬかたの花を尋ねん (西行)
 
またの機会に――ということで吉野から2時間かけて高野山へ。いやこちらも桜はまだまだ。お目当ては墓場であります。
桜7
      
高野山は2度目でした。
森閑として厳かな空気の中、一の橋から墓苑の中を歩いていきます。
桜8
      
われらが殿様有馬家の墓所。
桜9
 
明智光秀と石田三成。
桜10
桜11
     
豊臣家。栄耀栄華も一代ね。
桜12
  
ということでその日は一乗院の宿坊で一泊。
次の日は性懲りも無く大坂城で花見して帰ってきた次第です。
ごみごみした大阪城公園は、当たり前ながら大阪弁が飛び交っておりました。
桜13


今回は中野○○君風にお届けしましたが如何でしたでしょうか。

じつはこれだけです。(やっぱ、がっかりされた方が多かったかしら)
すまんこって・・・
じゃ、またね。
                     亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。

| けんおじ | よんでみ亭 | 14:35 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(44)  
白須賀から 二川へ 1里16丁

  夕桜折らんと白きのど見する (横山白虹)

春の宵は千金に価すると申しますが、今しも女性が桜の小枝を手折ろうとしております。手を伸ばす彼女の首筋があらわとなったとき、作者はいったい何をそこに見たのか・・・?

クサイ導入部から今回は始まりましたが、みなさんその後いかがお過ごしでしょうか。
本日、4月2日であります。
桜はちょうどいま満開であります。
ですが昨夜からの風雨で桜の花も濡れそぼっております。うう、昨日の花見は中止となりました。残念、残念、いかにも残念。仕様がないので前回に続いて都々逸で遊びましょうね。
(※けんおじ注:ミーシャン2006-04-01の脱稿です。)

  咲いた桜になぜ駒繋ぐ 駒が勇めば花が散る

これなどいかがでしょうか。
触れなば落ちん・・・。
申し上げときますが、頃は春宵あなたは今座敷で異性とふたりきり。膳の上には飲み差しの猪口が二つ。ほろ酔い加減。遠くからはかそけく三味の音が・・そんな情景を想像していただきたい。

  わたしゃ奥山 一もと桜 八重に咲く気はさらにない

こんなこと言われた日にぁ、もうメロメロで溶けて流れて有明海まで行ってしまいそう、ですね。
ほろ酔いとは言いましたが酒好きの私としてはそんなんで満足できず、つい杯を重ねてしまいます。

  お酒飲む人しんから可愛い 酔ってくだまきゃなお可愛い

天は我を見放さず!
こういう唄もあるんですね〜。
こんなこと言ってくれる女性とサシつササレつ・・・よかにあァァ〜。
でも酒好きの男が作ったような気もしないこともないけど。
  
  ほんにお前が酒好きゆえに わたしゃ餅焼く世話がない

そうなんです。酒好きに好色漢はおりません。とくに50歳過ぎには。したがってヤキモチを焼く必要もないのです。
ですがこんなアホな唄は好きですね〜。

  梅もきらいよ桜もいやよ ももとももとの間(あい)がよい

ところで危ない話に進んでいくこともままあったりしますね。

  昔馴染みとつまづく石は 憎いながらも後を見る

見るだけなら罪がないけれど。

  妻も夫もある身のほどに 無理を重ねておぼろ月

まずいですね、じつにまずい。

  義理も人情ももうこの頃は 捨てて逢いたい欲ばかり

うゥ〜、ワン。

  ちるさくら海あをければ海へ散る (高屋窓秋)


ということで東海道であります。
これより三河の国であります。
  【二川】〜猿ヶ馬場〜
二川1

とは言え、絵の猿ヶ馬場は二川(ふたがわ)宿のずっと手前にあっていまだ遠江の内であり、ここは馬とは関係なく小松の多い荒涼とした原っぱが続いていたそうであります。またこの地は名物の柏餅で有名で絵にも看板がかかった店を描いております。
絵中の女性連れは瞽女(ごぜ)の一行であります。
二川2
  
    *桃もほしいが桜もだいじ
         こころ二川身ハひとつ*

「此所昔ハ大岩から沢とて両宿なりしが
 大岩の男ハ男根雁大きくから沢の女ハ陰門穴小さし
 されバ大岩男のへのこからさハ女のぼ々の蓋
 となりしゆゑふた川となづけしこと也」

  詞書/かう志て入れるとねまではいるけれど
     こしをつかふのにきまりがわりい
     もうちょつとからだをうかせな
     さうださうだ

    /ちょいと口をおかしアレモウ
     くひついちァいやだよう
     にくらしい

なんだかよくわからん体位ですこと。

ではまた次回まで。
                        亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。


| けんおじ | よんでみ亭 | 10:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(43)  
荒井から 白須賀へ 1里26丁

 君は吉野の千本桜 色香よけれど きが多い (古都々逸)

桜の花もちらほらと開きつつある今日この頃、みなさん如何お過ごしでしょうか? (けんおじ注:ミーシャン2006-03-15の脱稿です。)

 春のひと日をつい飲みたおれ 花とふたり寝して戻る (同)

前回はちと脱線いたしましたので軌道修正。本来の路線に戻りましょうか。

 こうしてこうすりゃこうなるものと 知っていながらこうなった(同)

 主とわたしは玉子の仲よ わたしゃ白身できみを抱く(同)

この江戸情緒溢れる四畳半の世界。よかですねエ。
克己・尽力なんてヤボなことはこの際措きまして・・・。

 信州信濃の新そばよりも わたしゃお前のそばが良い(同)

“あなたのそば”もいいですが近々宮ノ陣に開店いたします『一閑人』という蕎麦屋のそばもウマイですよ。店の外観はモダンだし、庭!も凝ってますし器もシャレてます。ただオヤジが・・なんというか(ひみつ)・・ヨカ男でありました。御一見あれ。

ともあれ、

 酒を飲み遂げ浮気もし遂げ 儘(まま)に長生きし遂げたい(同)

ダハハ、確かにおとこの尽きせぬ望みではあります。不謹慎ですねえ。
とはいうものの、
    
 惚れた数から振られた数を 引けば女房残るだけ(同)

さて東海道であります。
  【白須賀】〜汐見阪図〜
白須賀1

現静岡県湖西市。大名行列が遠州灘を右に見て江戸へ下っております。風景をお楽しみください。
白須賀2
 
   * 人は志らすか 今宵の志ゆびを
        こんなうれしいことはない *

   「須賀はスカにてスカスカと白う人(しろうと)を
    交合(とぼす)といふより此宿を白須賀と号(なづく)
    元禄年中津なみよせしといふも真(まこと)の波にはあらず
    淫水のあふれたるなりとぞ」

   詞書/エエモウどうせう
      ソレいくよてそこがソレソレ
      いつそよくつてフウフウフウ

     /おれももうきをやるぜそれ
      うづくだらう とうだ
      アアいくいくいく
      ハアハアハアハア 

お疲れ様でございます。
じゃあまた、次回で。
                   亭主敬白

兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。

 
| けんおじ | よんでみ亭 | 10:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ミーシャンのよんでみ亭 東海道五十三次めぐり(42) 
けんおじからのご挨拶
 皆様、明けましておめでとうございます。
 と言っても、コンビニはもちろん営業していますし、
 スーパーマーケット(今では死語かな?)の一部も営業しています。
 20年くらい前までは、店はどこも開いておらず、
 新年を厳かな気持ちで迎えないといけませんでした。
 車に「しめ縄」など、とうの昔に無くなってしまいました。
 で、新春の第1ページは、
 格調ある文章?の「ミーシャンの読んでみ亭」で
 始めたいと思います。
 今年もご愛読、宜しくお願いします。
 


:::::::::::::::::::::::::::::

荒井から 白須賀へ 1里26丁のはずが

<梅は咲いたかァ〜、ぁ桜はまだかいなァァ〜、ぁこりゃこりゃ>
昨年の今頃もこんな出だしでしたが、みなさん、楽しく面白く毎日をお過ごしでしょうか?
 (けんおじ注:ミーシャン2006-03-02の脱稿です。)

「内的に不幸な人間が、その不幸を自分自身の力で解消するタフさを持たず、大きなメディアイベントに依存した受動的な存在になっているのではないか・・。」

「社会学者の鈴木謙介は、今後起こる日本社会の分極化の中で、大衆が『瞬間的な盛り上がり』によってもたらされる『内的に幸福』な状態(=カーニバル)を持ちつつ、『客観的には搾取され、使い捨てられる』危険性を指摘しているが(『カーニバル化する社会』)、歌ったり踊ったりすることを自分らしさとして楽しむ下流は、まさにカーニバル化する社会を象徴していると言えよう。」

うう、いきなりですがみなさん。『下流社会』(三浦展著;光文社新書版)読まれました?

上のはその一部を抜粋したものです。順を入れ替えましたが。

最近、わたくし思うところがあってこの『下流社会』と『新版年収300万円時代を生き抜く経済学』(森永卓郎著;知恵の森文庫版)を続けざまに読みました。

ううう、まことに衝撃的でありました。

要するに、私達の住んでいる日本は、エライことになっていきよるとです。

一部のエリートが国富の大部分を占めつつある一方、むかし中流と呼ばれて安閑としていた階層がスベリ落ちて新階層を形作りつつある・・それが【下流社会層】。

大前研一言うところのロゥアーミドルですね。

「【下流】とは、単に所得が低いということではない。コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、消費意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。その結果として所得が上がらず、未婚のままである確率も高い。そして彼らの中には、だらだら歩き、だらだら生きている者も少なくない。そのほうが楽だからだ。」(『下流社会』より)

うう、なんだ? その見下げるような言い方は。

確かに所得低くて、だらだら歩いてだらだら生きていて、楽してるけど。
人生への意欲は・・あんまし高くない・・わな。
あっちゃ〜・・・わたしも下流界の一員なのね。

それはともかく、『下流社会』のなかで三浦はこう言ってます。
「あとは悪くなるだけという不安――普通の人には展望がない。」

ここで森永卓郎の本のまえがきから抜粋すると――
「・・・国税庁の統計では、サラリーマンの年収はすでに6年連続で減少し、年収300万円台を目前にしている。・・厚生労働省の1998年の調査によれば、非正社員の正社員に対する割合は27.5%であったが、2003年ではなんと7.1ポイントも上昇して34.6%と発表された。しかも、非正社員の月給も併せて調査したが、その結果は驚くべきもので、〔月給10万円未満〕が37.2%、〔10万円〜20万円〕が40.8%と、合わせて8割の非正社員の月給が20万円に届いていなかったのだ。年収300万円どころか、年収100万円台の人が、(非正社員の)3人に1人以上になった。それが小泉構造改革の結末だった。

もちろん、構造改革の成果はそれだけではない。フリーターは500万人近くに増えた。学校にも行けず、就職もせず、教育訓練も受けてないニートと呼ばれる若者もすでに85万人に達している。弱肉強食化政策は、社会のあらゆるところに【正社員になれない】低所得層を生み出している。」

ううう、ひどい話でしょう?

これが現代日本の現実なのね。ついでに言えば自殺者が3万人で原因のトップは経済的理由。
それなのに「改革の痛みのため失業者がでても仕方がない。」と言った小泉総理の自民党が選挙で圧勝したというのも現実。

先ごろ政府税調会長が最高税率の見直しについてこう語っておりました。
「最高税率の50%(所得税+住民税)というのは欧米に比べてまだ高いほうである。」

え゛〜? ホントかぁ〜?

で、この見直し論議はこれで幕引きですかい?
昭和49年時点で所得税の最高税率は75%でありました。税率の刻みは19段階という累進課税です。それが59年・62年・63年・平成元年・7年・11年と年々、率・段階とも引き下げられて今では4段階、年収1800万以上では一律37%の最高税率ですと。

その前の税調の答申では、2ケタの消費税は避けられないと言っておった・・・。

どうなってるわけ?
税収不足を貧乏人からむしり取って埋め合わせるわけ?
・・・・「あとは悪くなるだけ」これじゃ普通に展望持てないですよね。

で、話をもどしますと、『下流社会』では下流のひとのいろいろな性向が、調査の結果記されております。見出しにいわく、

「下」は自民党とフジテレビが好き
自分らしさ志向は「下」ほど多い
自分らしさ派は、未婚・子供なし・非正規雇用が多い
「個性を尊重した家族」も「下」ほど多い
「下流」の男性はひきこもり、女性は歌って踊る・・・

だったら「上」はどうなの?というはなしですが、ほとんど「下」の逆みたい。

女性では、
   上流は社交的、下流はだらしない
   上流は女性らしさ、下流は自分らしさ
   上流はゆとり教育が嫌い

また少なくとも年収500万円以上であれば結婚に踏み切り、子供が生まれれば高い教育費を払ってお受験。年収階層の差がそのまま子供の学力差になるから結局は「上」の子は「上」になり、「下」はいわゆる〈出来ちゃった婚〉で教育に投資が出来ずにまた「下」を再生産するという図式であります。

また森永はこうも言っております。

「会社が【成果主義】というのはいわばお題目に過ぎない。(中略)経営者が本当にやろうとしていることは、エリートに手厚くして、その代わり、エリートではない一般社員の待遇をどんどん引き下げていこうということなのである。」
「・・・結局、日本の政策は、金持ちのサロンで決められているのだ。」

このデフレは金持ちが安くなった資産を買占めるのに有利でした。一方、はじめ物の値が安くなって喜んでいた庶民は、企業の倒産や合理化のため大量の失業という手ひどい代償を払っております。

住宅ローンを抱えながら大学や高校の子供に金がかかる、にもかかわらず、リストラされた――という方も我らが同胞のなかにいらっしゃると思います。

頑張ってください。としか言いようがありませんが、うらむなら金持ちと政府をうらんでください。

ついでに申すなら、近くデフレは終息しインフレに反転するということです。が、前述のように賃金はもう上がりませんし、なのに物価は上がるし、待ってましたとばかり増税になります。ということは、ますます下流の生活は苦しくなっていく一方となるわけです。

わたしは早速『年収100万円で楽しく幸せに生活する本』(実藤秀志著;王様文庫版)を買い込んできました。

さてさて、本日は3月1日であります。
朝からこのコラムをワードで打っておりますが、こんな話題やんなきゃよかった。どっと疲れております。自由競争下の成果主義というとなんか正しそうな響きですが、頭にくるというか、通り越して虚しくなって参りました。       
結局、むかし冗談で言っていたようにアレはアメリカの陰謀だとか、政府の陰謀だというのが、ホントそうだったという笑うに笑えない状況であります。

ところで。
来る3月3日は明善の卒業式であります。

この3年間、PTAではなく保護者会(この違いも結局分からずじまい)の役員の末席に名を連ね、何度も学校へ足を運びましたが、いやはや明善も変わりました。
いや、建物はまんまあの頃と一緒で、教室にエアコンが入ったくらいですが、管理教育が行き届いているというかなんというか。
大したものですよ。高校3年間皆勤がなんと109名。生徒の3分の1が無遅刻無欠席。もちろん成績は我等のときと比べようもなくいいですし。体育祭もあの通り大仕掛けで大感動もの。部活も頑張ってます。というかその2つがあるから今の子、やって行けてるのかもネ。
先生方も大変。昔のようなチャランポランな先生、一人もいません。校長の査定が厳しく少しも気を抜けない感じがひしひしと伝わってきます。新年度からは小中学の父兄が泣いて喜びそうな週6日制(実質よ!建前は5日制)になるし、先生稼業もホントきつそ〜。

前のはなしに戻るわけではありませんが、こうしてこの時代のエリートがここ明善から巣立っていくのでしょうね。
願わくば、彼らが大学でふと立ち止り、“自分探し”にハマらないように・・・。

さて。
振り返ってみれば我等の時代、明善はどこかユルクて、いかにも田舎の進学校って感じでとても素敵でありました。

ということで、今回も最後は「いや〜、むかしはよかったにぁあ」風になっちゃいましたことを亦してもお詫びしつつ、白須賀とは如何なる所かという謎を残したまま本日これにて、おしまい!(中村○○氏風)

                     亭主敬白


兼定興産のホームページ
http://urban-green.jp/
も覗いて下さい。 「屋上緑化」が満載です。

かねさだ商事のホームページもアップしてます。
http://www.fukunet.or.jp/member/kanesada/
も覗いて下さい。
| けんおじ | よんでみ亭 | 11:58 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |